わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第49回】  春子、ただいま無事に舞い納めました →バックナンバーに戻る

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 いよいよやってきた高齢社会。9月の何日かわからなくなった敬老の日や、電車の中、あいかわらず若者に「不法占拠」された優先座席、それに先行き不透明な年金問題など、混沌とし、不安感ばかりあおられている気がする。そんな風潮のなかでの救いは、百歳人生を楽しんでいる人たちが多いことだ。花作りや散歩の日々ばかりでなく、現役で聴診器を持つ医師やトライアスロン筋肉じいさんなど、頑張らなくてはと励まされるご仁がかなりの数いる。まさに独立独歩、健康で社会に貢献し続けている。
 高齢といえば、120歳の記録で亡くなった泉重千代さんのことが話題にのぼった。「好きな女性のタイプは?」と聞かれ、「はい、年上の人です」と答えたとか、当時114歳で「最近悲しかったことはなんですか」には「孫がね、老衰で死んだことです」だって。長寿ならではの体験である。


  わたしの大好きな伝統芸能の世界は、長寿の人が多い。90過ぎて舞台をつとめることが、ごく当たり前。清元志寿太夫100歳、菊原初子102歳、武原はん95歳、片岡仁左衛門90歳。いずれも没年齢を記したが、なくなる直前まで現役の舞台人。その技と芸にふれることができたのは幸いだった。
 去年なくなった、四世井上八千代は98歳。白寿の祝いの会の直前だった。その本名、片山愛子と師、三世八千代を主人公にした芝居がある。北條秀司が新派のために書いた「京舞」だ。
 井上流の舞は京都の祇園だけで伝承される。「都をどり」で有名な花街の舞だ。近衛家に仕えた初代が御殿舞をもとに創流。そして二世が能の舞や文楽人形の型などをとりいれ、個性的な一流に仕上げていった。それを引き継いだのが三世八千代。三代ともに女性の家元、特に三世は名人上手の誉れ高い人物。写真でみると大柄で、きっぱりとした舞姿に品格がにじむ。
 ドラマは、すでに老境に達した八千代を描くところからはじまる。とにかく厳格の一字。それは舞妓、芸妓らへの妥協を許さぬ稽古の場面で描かれる。戯曲ではあるが、ほとんど実説の再現だ。京舞は祇園という華やかな街での酒席に花を添える座敷舞と思ってはいけない。他の流儀にはない腰の据え方や手足の運びは、長い修練を経て艶やかなものにかわってゆく。
 そんな緊迫感漂う自宅の稽古風景を見せる。その八千代に寄り添うように身の回りの世話をし、稽古を陰で見守り、舞への意欲を見せる内弟子が愛子。
 三世八千代は女丈夫だったらしく、京都博覧会では役所が名づけた「みやび踊り」を拒み、「都をどり」を貫いた。また、普段からビールやメンチボールを嗜んだりと、その片鱗も舞台で演じられる。そして厳しい稽古。特に「おとめ(「お止め」か?)」といわれるものがある。二度と稽古をしてやらない宣言。つまり出入り禁止処分をそういう。
 予習、復習を怠らず、芸を磨くこと。これをおろそかにすると、とたんに雷が落ちる。愛子でさえ、その逆鱗に触れ、「もう、やめておしまい」「西陣のお針子さんに雇っておもらい」と叱られて、破門になりかけ、稽古場の押入れに隠れて暮らし、許しを待った実話エピソードも展開される。
 そういった芸道芝居の合間、合間に「都をどり」の舞妓の総踊りや、「京の四季」などが劇中上演され、京都に旅している贅沢な雰囲気にさせられる。なかでも劇団新派の底力を覚えるのは「手打(てうち)」。これは舞ではない。芸妓衆が黒の正装で小さな拍子木を「チョンチキ チョンチキ」と涼やかに打ち鳴らしながら行進し、めでたい囃子言葉を連ねる儀式性の高い一幕。襲名や特別な公演にのみ演じるご祝儀だ。芸妓に扮することはあっても三味線、唄、鳴物なども含め、井上流独特の品の良さを自前の女優陣だけで整然と演じられるのは新派だけだろう。見事なものである。


 その「手打」があるのは、ドラマの歳月が進んで三世八千代の百歳を祝う公演が歌舞練場で繰り広げられているという場面だ。
 白髪の八千代の初演は花柳章太郎である。しかし、四世八千代はこの作品の上演を許可したものの、花柳には教えなかった。
 「京舞は、男はんにはお教えできまへん」これが井上流だ。許可は許可。本筋は本筋。愛子役を演じる初代、八重子は女性。喜々として「長刀八島(なぎなたやしま)」を学んだ。しかし百歳の三世八千代は自分の役、ぜひとも舞姿も演じたいと願った花柳は、舞踊の心得がある夫人を稽古に行かせ、それを写し取ったという。凄まじい芸人魂だ。もちろん初演は大評判。のちに、二代目鴈治郎、初代八重子もこの百歳の八千代を演じた。そして、初代、八重子生誕百歳にあたる今年、二代目八重子が演じた。
 実名、実在の登場人物が出る「京舞」。上演が許されたのは、四世八千代(愛子)が初代、水谷八重子と同い年で親しかったからだ。つまり今年は四世八千代も生誕百年になる。  そこで舞われる作品は「猩々」。汲めども尽きぬ酒を飲み、長寿、延命を祝う曲。しかし、芝居は老衰のさま、認知症のような雰囲気も見せ、みんなをはらはらさせ笑わせる。お気に入りの「おうな」(鰻飯)を食べる健啖ぶりを見せたり、破門した舞妓が洋舞のスターになって祝いに駆けつけるなど美談が盛り込まれたりした挙げ句、「よし、舞お」と決意し、「お薬」といいビールを催促。客席にも笑いと安堵感がただよい、「猩々」の舞台へと続く。ここがハイライトだ。
 杖をついて、手を引かれながら楽屋を進む。そして杖をバタリと捨てて「お幕ッ」の一言。あの老女が画然と舞い始める。ここに芸の難しさがある。実年齢、百歳と舞名人の技。それを調和させなければいけない。現、家元の五世八千代はこう指導した。「普段の描写はいくら年取って、足元おぼつかなく演じても結構どす、しやけど舞だけは困ります。きちんと舞うておくれやす」
 こんな難しいことはない。形でいえば腰は曲がっていても背筋をぴんとした中で「猩々」を舞うという至難なもの。それに真正面から取り組む、当代の水谷八重子。客席もドラマ世界に引き込まれ、息をこらして見入る。ボテン、ボッテンという京三味線独特の響きの中、舞が進み、最後は舞台中央に座して扇を置く。そして一礼。
 「春子、ただいま無事に舞い納めました」
 一瞬置いて万雷の拍手。涙を拭う人も多い名場面、名セリフだ。百歳で舞い納めた三世八千代は翌年、百一歳で亡くなる。見事な人生の幕引き。実話だけに圧倒され、事実だけに演じる役者の大きさも覚える。
 その「猩々」の後見で座るのが、のちに四世を継ぐことになる愛子(波乃久里子)。ほとんど動かず背中だけを見せているが、あきらかに百歳の舞を全身で見納めていることが伝わってくる。「舞い納めました」のひとことのとき、わずかに肩を動かすのみだが、それで師弟のすべてが描かれる。「舞い納めた人」と「見納めた人」の心の交流だ。
 長寿は尊い。そして修練、修業を絶やさず現役で舞台に立ち続ける人は、多くの人に勇気と感動を与えてくれ、さらに貴い。舞踊は凄いな、芝居って本当にいいなと思わせる「京舞」。奥の深い作品である。
 

 四世八千代の愛子さんも、厳しさではみんなが縮みあがっていたが、素顔は素敵でユーモアいっぱいの方だった。「お酒はいかがですか?」とわたしが聞けば、「ちっとも飲めしません、でもね、コーヒーは好きですよ」優しい声が耳に残る。「それからね、ド・ラ・イブ。窓から眺めるの好きですな」
 終生、好奇心いっぱいな人生でもあったのだろう。
 ユーモアといえば、きんさん・ぎんさんが有名だ。百歳になってからの有名人。タレント活動、コマーシャル収入もあった。おせっかいなインタビュアーがこう聞いた。
 「そんなにたくさんの収入、どうするんですか?」
 「ああ、これはねえ、老後のたくわえですネ。フワッ、ハッ、ハ、ハ!」
 と答えたとか。長寿に乾杯、いや完敗か。


葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
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