わたしの好きなお国ことば 葛西 聖司
  【第50回】  おゆかしいたよりを聞いた →バックナンバーに戻る

イラスト

 「ヨボセヨ(もしもし)」と携帯電話から呼びかける声。「?」と思い、発信通知をみれば82から始まる電話番号。韓国の国番号、国際電話だ。普段から携帯電話は通話料が高いと思っている。まして国際電話。びっくりしたのだが、かの国は携帯電話の普及が日本以上とか。そして国際通話を含め、通信料が驚くほど安いので、気楽にかけることができるのだそうだ。
 韓国ドラマ大ブームのきっかけは「冬のソナタ」。放送されて何年も経つのに、いまだにその人気は根強い。清らかで、はかない恋の物語。何十回もくりかえし全編通して見ている人がいる。すれ違いドラマの典型だが、よく考えるとおかしい。ドラマのなかで携帯電話がしきりに活躍するのに、肝心な時の緊急連絡に、なぜかお互い使用しない。たくさんの行き違いや、登場人物の誤解が、たった一本の電話ですんでしまうのにと、ヨン様にやっかむこちとらは、画面見て文句ばかりつけていた。
 逆に日本では、かつて「君の名は」のリメイク版がヒットしなかった。すれ違いの感覚が携帯時代にそぐわないからだと、さんざん批判した人たちも、「冬ソナ」ブームだけは別のようである。
 恋人同士にとって毎日の電話やメールは欠かせない。遠距離恋愛の場合はなおさら思いが募る。また、近くに住んでいながら、いつ会えるかわからず虚しい日々を送るケースもある。その一例をご紹介しよう。


 女性の名前は「白雪姫」。いえいえ毒リンゴの西洋説話ではなく、わが国のお姫様。ところは北陸、越前の三国に住む御方(おんかた)。恋人は加賀の白山に住む公達(きんだち)。今なら北陸自動車道をぶっ飛ばせば2時間くらいで会える。実は、ふたりが本気で会おうと思えば、10分ぐらいで会える不思議な能力を持っている。妖怪変化のカップルなのである。
 原作は泉鏡花の「夜叉ケ池(やしゃがいけ)」。公達は剣ケ峰の千蛇ケ池(せんじゃがいけ)に棲む竜神、白雪姫は夜叉ケ池の主である竜女。恋人同士だが、先祖の竜神が人間と約束を交わしたので池から気ままに出ることができない。その約束を忘れないよう人間は明け六つ、暮れ六つ、そして丑満時(うしみつどき)と日に三度、夜叉ケ池の上に吊るした鐘を撞き続けてきた。もし竜女が池を出れば、池の水が麓に溢れ出て幾千、幾万もの人命を失わせてしまうことになるからだ。
 それゆえ、ふたりの交際は手紙だけ。今日も今日とて、白山からぬらりくらりと文遣いがやってくる。鯰(なまず)だ。手に持っているのは文箱。出迎えるのは蟹と鯉。いざなわれて鯰は少し不安になった。この文箱の中の恋文に自分を輪切りにして煮たものを姫の「おめざ」にどうぞと書いてあったらどうしようかと悩む。それは、千蛇ケ池で髪を洗いに来た山女にちょっかいをだしたことで若様のご機嫌をそこねたから・・・とふたりに打ち明ける。笑う蟹と鯉だが、気のせいか箱がずんと重くなった。みんなも恋文が盗み読みしたくなって紐に手をかけ文箱を開いてしまう。すると、中は水だった。千蛇ケ池のものであろうか。「さっと、清き水流れ溢る」とト書きにある。水茎を流したようとは、美しい筆の形容だが、水の流れが、携帯電話顔負けのボイスメールになっているのであろう。それを「読んだ」白雪姫が登場する。手にはなぜか、玉章(たまずさ)を持って。そして、表題のセリフ。
 「おゆかしい音信(たより)を聞いた」というのだが、全体はもっといい。
 「懐かしい、優しい、嬉しい、おゆかしいたよりを聞いた。・・・」
 「ゆかしい」につく「お」が前三つの形容詞とともに生きてくる。つまり、「ゆかしい」のなかに、三つの意味がこめられているのだろう。
 我々が日常的に使わない「ゆかしい」を鏡花は「床しい」と漢字で書いている。語源は「行く」からきていて、心がひかれる、見たい、聞きたい、行きたいという意味らしい。だから、そのあとのセリフが、
 「姥(うば)。われは参るよ」
 つまり、ああ、もう我慢ができない。カレに会いたいから、ワタシ出かける、行くからね。と乳母に強くいっているのだ。
 でも、姥は釣鐘の約束をお忘れかと迫る。もし、あなたが動けば何千、何万という人間が水の底に落ちて死ぬ、剣ケ峰の恋人がこちらに来ても白山谷は湖になってしまうと諌める。しかし姫は、「人間とても年が経てば、ないがしろにする約束を、一呼吸(いき)早く私が破るに、何にはばかることがある!」といい、「八つ裂きにされようと、恋しい人を血に染めて、燃えあこがるる魂は、かすかな蛍の光となっても、剣ケ峰へ飛ばいでおこうか」と狂乱する。
 すると、どこからか涼しい声で子守唄が響いてくる。若い鐘撞きの女房が歌っているのだ。この夫婦が清らかな心を持っていることを姫は知っているので、わたしのせいで村が沈めば「美しい人の生命(いのち)もあるまい」と、自制心を取り戻し、「この家の二人は、ねたましいが、うらやましい。姥、おとなしうして、あやかろうな」といって断念し、千蛇ケ池の君に返歌を書くことでいったんは納まる。
 このあと、鐘撞き夫婦に事件が起こり、結局、吊綱を切って鐘を池に沈めてしまうことで、丑満鐘の約束が果たされず、白雪姫の念願が叶うことになる。水底に若夫婦が眠り、夜叉ケ池は鐘ケ淵となり、そこは新しい恋人伝説の住まいに変じるという物語だ。


 「ゆかしい」という文字にはやわらかな印象があるが、白雪姫にとっては、恋の炎を燃やす強靭な意思のことばでもあった。
 「夜叉ケ池」の芝居でそんなことを思った数日後、小唄の演奏会で発見があった。わずか数曲聞いた中に、「ゆかしい」が二回出てきた。
 「薫り 床しと 待ちわびかねて ささ鳴きかねる鶯の・・・・・」(めぐる日)
 「匂いも床し袂風 それも いつしか恋風と・・・・・」(戌の春)
 こうした座敷唄に荒々しさはなく、しっとり、ほのぼのとしたことばである。そして、
 「口舌の床の 爪弾きは・・・・・」(むら烏)
 「床の梅 笑うているぢゃないかいな・・・・・」(あけぼのに)
 みんな意味が違うけれど、「床」という字が共通している。
 「とこ」は床の間であったり、褥(しとね)であったりする。「ゆかしい」に使う「床」は当て字であっても、文字の持つ意味の広さをみれば、どこか艶っぽい印象がある。
 「床の間」の梅が恋心を笑い、朝の「寝床」で三味線の爪弾き。それが恋の口舌唄になっている。「床しい」ということばをわかるには、こんな世界も知っておかなくてはいけないのかと再認識。決して古臭いことばではなく、日本語のもつ力なのだと耳と目で教えられた。


 「これ見てくださいよ、巻紙で礼状がきたのですよ。おくゆかしいですね」   同僚が有名女優の手紙を見せびらかした。なるほど美しい人は美しい文字も書けるのだ。「奥床しい」。このことばは女性にぴったりであると今さらながらに思う。でも、うちの「奥」はゆかしくありま・・・・・あれッ? こんなこと書くと、「おゆかしい」ではなく「おそろしいたより」を聞くことに・・・・・。
 


葛西聖司さん 葛西 聖司 
(かさい・せいじ)
1951年、東京生まれ。中央大学法学部卒業とともにNHKに。現在、NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍中。日本演劇協会会員。義太夫協会会員。著書に「名セリフの力─日本語をきたえる76のことば─」(展望社)「能の匠たち」(小学館)など。
閉じる トップへ
new_copyright2003.gif