領地の経営者でもあった大名のことばから、人を採用することの難しさを学びます。
ヘッドハンティングの金言
千兵はしやすく、一将は求めがたし
(『甲陽軍鑑』)
「千軍は得やすく」というのが一般的だが、『甲陽軍鑑』では武田信玄が果敢に抵抗する岡部次郎右衛門についてこう述べ、味方に引き入れたとされる。今川家での次郎右衛門の禄は三百貫だったのに対し、信玄が与えたのは三千貫。
戦乱の時代、自分を高く評価してくれる主人に替えるのは恥ずかしいことではなかった。
教育係の採用のための金言
子供に付候者は、其人柄を再三詮議して念を入るべし
(子供につける者については、その人柄を再三調べて、念を入れるべきだ)
(黒田長政『御定則』)
大名の息子には、幼い頃から教養のある重臣や僧侶が教育係としてつけられた。その影響が大きかったことは、伊達正宗はじめ数々の武将の伝記から知られる。
現在でも子どもの教育にあたる人間、教職者の採用には人柄を重視すべきだろう。
ちなみに、黒田長政は教育の重要性を意識しながら、彼の長男、忠之(ただゆき)の教育に失敗したようである。長政の没後、黒田家は内紛(黒田騒動)が起き、藩の歴史に大きな傷を残したのだった。
コネ採用の金言
おのれが縁類などとりなし、其人にあはざる役などさせ、欲にふけり音者(いんもつ)に愛でなどする家老は、逆心同前と知るべし。
(自分に関係ある人間を仲介して、その人に合わない仕事などさせ、欲にふけ賄賂を心ひかれるなどという家老は謀反人と同じと知るべきだ)
(板倉重矩『板倉重矩遺書』)
板倉重矩(しげのり)は、島原の乱の制圧に失敗して討ち死にした板倉重昌の息子で、老中にもなった人物である。彼は1673(延宝1)年に病死する直前息子にあてて遺書を記した。
上の文章の前後から、武家社会にコネ採用が横行し、それが全体の意欲を下げていたことがうかがえる。
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