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松岡農水相の自殺に関する報道で、「安らかなお顔だった」という報道がありました。これは死に顔をほめる表現と考えてよいでしょう。しかし、「安らか」は死者をほめるだけの語ではありません。
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「安らか」の「安」は「安定」「安泰」「安心」など、物や心が落ち着いた状態を表します。そこで、おだやかな性格やおだやかな生活をこの語を用いてほめることができます。
「安らか」な生活をほめる用例
*徒然草〔1331頃〕一二四「是法法師は浄土宗にはぢずといへども、学匠をたてず、ただ明暮念仏して、やすらかに世を過す有様、いとあらまほし」
その解説
現代語にすると「是法法師は浄土宗の他の僧と比べて決して恥ずかしくない立派な僧だが、学者ぶった顔をせず、ただ明けても暮れても念仏を唱えて、心安らかに世を過ごすありさまは実に望ましいものである」。
そのように考える兼好法師は、『徒然草』の序段に「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」と記しています。自身はおだやかな性格ではなかったようです。
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一般的で穏当なものを「安らか」と表現することもできます。現代ではその意味で「安らか」を用いることはあまりありませんが、下の用例を知っているといつか役に立つかもしれません。
「安らか」な普通さをほめる用例
*徒然草〔1331頃〕二三一「大方、振舞ひて興あるよりも、興なくてやすらかなるが、まさりたる事なり」
その解説
また兼好法師です。この人はわざとらしい振る舞いや、見せびらかしが嫌いだったようで、この段ではもてなしや贈り物はさりげないほうがいいと語っています。用例を現代語にすると「だいたい、趣向をふるって興があるよりも、興はないが穏当なのが勝っているものだ」。
自宅に招いてくれた友人が「つまらないものしかないのだけれど」と恐縮しているときにこれを思い出したとしても、いきなり「兼好法師いわく」などと言うと古典の授業のようで興ざめです。大仰なもてなしに驚いた体験談で相手を笑わせつつ目の前の枝豆や冷奴(あるいは漬け物か?)をほめるのが兼好法師の趣味にかないます。
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「安らか」はゆったりした様子を表す語でもあります。緊張がゆるんでゆったりすることを意味する「安らぎ」は、旅館の広告でよく用いられますが、「安らか」はあまり用いられません。おそらく、
「安らかにお休みください」
では弔辞のように見えるからでしょう。
「安らか」な余裕のある態度をほめる用例
*落窪〔10C後〕四「うち笑ひ給ふ様、いとやすらか也」
その解説
用例は、姫君(四の君)の婿になる男(筑紫の帥)の余裕のある態度を表したもの。この婿さんは姫君を任地の九州に連れていくつもりですが、姫君は、「遠いらしい所に頼りになる人々を都に置いてどうして行けましょうか」と言うのです。そこで婿さんが「では一人で(九州に)下れと言うのですか。ただこうして一日二日お会いしただけで夫婦になるのをやめてしまおうと思われたのですか」と笑った様子が、いかにもゆったりしていたのでした。21世紀でもこういう場面でイライラせず、ゆったりと微笑むような男性は女性に好かれます。
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古くは、やすやすと物事を行なうことも「安らか」といいました。現代でも「やすやす」より「安らか」のほうがよい場合があるでしょう。たとえば苦労しないで金を得た場合
「彼はやすやすと金を得た」
「彼は安らかに金を得た」
では、下のほうがほめている感じがします。
「やすやす」が「安らか」な用例
*枕〔10C終〕一五八・うらやましげなるもの「経など習ふとて〈略〉法師はことわり、男も女も、くるくるとやすらかによみたるこそ、あれがやうにいつのをりふとおぼゆれ」
その解説
この段では清少納言がうらやましく思うものを列記しています。そのトップにあげられたのが、経を「くるくるとやすらかに」よむことです。清少納言は「あのように(よめるのは)いつになったら、と感じる」というのですが、読経の上手な貴人を持ち上げている風でもあります。
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「安らか」は古くから政治家に愛用された語でもあります。現代の政治家もしばしば演説で用います。
「安らか」な国民生活を願う用例
*第七十二回国会衆議院本会議録第八号「申すまでもなく、経済の成長発展は、それ自体が目的ではありません。われわれの目ざすところは、国民の安らかな暮らしとそのための健全な環境をつくり上げることであり、経済の成長発展はそのための手段でしかないのであります」
その解説
1974年(昭和49年)の国会で、福田(赳夫)大蔵大臣の財政に関する演説からの引用です。時の総理大臣は故・田中角栄でした。
なお国会会議録検索で「安らか (AND) 国民生活」を検索すると36件で、「安らか (AND) 追悼」では43件です(第1〜166回国会)。「追悼」の多くは追悼演説です。まるで日本の国会は国民生活の安定よりも関係者の冥福を願うことに熱心であるように見えますが、その数は単に「安らか」の語が死と強く結びついていることを示すのでしょう。そうでないと困ります。
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