第9回適材適所


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この夏ニュースで何度も耳にした「適材適所」は、人事担当者に感心したときにも不満があるときにも用います。先週は内閣人事をほめるのに用いられましたが、今週は嘆くのに用いられています。


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諸橋轍次『大漢和』の「適」の項目に、「適材適所」の子見出しはありません。そのかわり「適才適処」があります。
「適材」の「材」は才能を意味します。そこで、人事の話なら「適材」を「適才」にかえることができます。また、現代人は「すぐれた人材を求める」といいますが、「人材」それ自体が才能のある人、役に立つ人を意味するため、本来「すぐれた」は不要です。
『大漢和』の「適才適処」用例には、清の行政法の法律書の用例が掲載されています。日本でも官公庁、政治家は「適材適所」を強調します。


官僚の適材適所主義
*昭和16年度鉄鋼生産ニ関スル件‐昭和16年〔1941〕5月9日閣議決定・六「商工省ハ鉄鋼技術者の調査を行ひ工場能率を勘案し適材適所主義に依る配員を実施するものとし」


その解説
太平洋戦争開始の約7ヶ月前の閣議決定です。「適材適所主義」という「主義」が、第二次大戦前からあったことがわかります。現在でも国会や地方公共団体その他でこの言葉が用いられますが、「適材適所主義」ではない、何か特殊な主義に基づいて「配員を実施する」ことがあるのか、非常に気になります。


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「適材適所」は、材木の使いかたをいう建築用語でもあります。建築の世界で使われていた「適材適所」を人間にもいうようになったのか、あるいは逆なのかは定かではありません。いずれにしろ古くから材木選びを人事にたとえていたことは間違いないようです。
室町時代中期の『文明本節用集』にも、「良匠無棄材、明君無棄士〔帝範〕」(すぐれた匠は材木を無駄にせず、明君は人を無駄にしない)という例があります。


日露戦争時代の「適材適所」
*明治大正見聞史〔1926〕〈生方敏郎〉政府の恐露病と日露戦争・五「若しあの男を参謀本部にでも廻したら、それこそ真に適材適所で」


その解説
日露戦争勃発の当時まだ学生だった生方敏郎(近代のジャーナリスト、小説家)が、砲兵から看護卒に回された友人について評したもの。この男は入隊する前は医学を学んでいたのですが、友人らには参謀本部のほうが向いているように見えたのでした。
「適材適所」は明治後半世間に広まった言葉で、日国の用例もこれが初出となっています。


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日国の「適材適所」の項目には、「適材適所」の条件をわかりやすく語る用例があります。


「適材適所」の最低条件
*ひかげの花〔1934〕〈永井荷風〉五「女給でも芸者でも人に勧められてなったものは適材適処とは云へないからな」


その解説
妻を芸者か女給にしたいと思っている男に、知人がアドバイスしているところです。用例は台詞の一部分で、この後「親兄弟の反対するのも聴かずになったやうな奴でなくっちゃ腕は上るまいて。」と続きます。
これはおそらく水商売に限らず、あらゆる職業にいえることでしょう。たとえば、今週辞任した農水相は、そのポストを与えられたときに「参ったな」と思ったそうですから、最初から「適材適所」の条件から外れていたと考えられます。

日時: 2007年09月06日 12:30
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