第13回本物


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団塊世代向けの雑誌には「本物を知る大人」、「本物の味わい」など、「本物」の文字が躍っています。この世代は成長期にチクロ入りのジュースを飲み、青春時代には下宿でインスタントラーメンをすすり、サラリーマン時代の出張では冷凍赤福を土産に買いました。今回はそんな彼らが憧れる「本物」の表現を、近代から現代の用例に学びます。


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偽りにあらざるものを「本物」と呼ぶのはいつ頃からか、定かなことはわかりません。「日国]」では18世紀の用例が初出です。同じ意味で用いられた「本(ほん)の物(もの)」の項にはそれよりも100年以上早い狂言の用例が収録されています。
かつてはほかに「真物(しんぶつ・まもの)」、「正物(しょうぶつ)」などの語も用いられました。その中で現代の日常生活に残ったのは「本物」のみです。


偽装表示でない「本物」の用例
*苦笑風呂〔1948〕〈古川緑波〉文芸時評「戦争中に読んだ『細雪』上巻は、戦争中唯一の本もの(代用品でない、それこそ純綿純米純コーヒー)の小説として、忘れられないものだった」


その解説
第二次世界大戦中にも小説は書かれましたが、多くは軍部の意向に迎合した作品でした。そうでなかった『細雪』は時局にあわないという理由で連載を中止させられています。この歴史的事実からも、お上はつねに「本物」を奨励するとは限らないといえます。


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美術や文学、音楽など、芸術的な方面では作品の程度や内容の高いものを「本物」と呼び、レベルの低いものと区別することがあります。


本格的な作品をいう用例
*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉三「『ええ是なら三味線に乗りますよ』『三味線に乗りゃ本物だ<略>』」


その解説
物理学者の青年、寒月が猫の飼い主に書き送ったハガキを、友人の迷亭と、お婿さん候補として寒月の人物調査に来た婦人が眺めている場面です。ここで婦人は「三味線に乗りますよ」位しか詩文をほめることばの持ち合わせがないのを露呈しており、迷亭はそれをおかしく思いながら、「三味線に乗りゃ本物だ」と調子を合わせています。
この用例のように、相手がある作品をほめているときには、ほめ言葉を受けて「それは本物だね」、「本物はちがうね」などといえば、相手の眼力に敬服している気持ちをにおわせることができるでしょう。


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人間の場合は、心の持ち方や生活態度で「本物」の人間とロボットや動物のような人間とを区別することがあります。


真人間をいう「本物」
*小さいアルバム〔1942〕〈太宰治〉「こいつは、出来た。<略>意気込んだところが一つも無くて、さうして堅実だった。あんなのを、ほんものといふのかも知れない」


その解説
学生時代の写真を来客に見せているところで、語り手(太宰自身がモデル)は「あんなの」に比べたら、「おっちょこちょいの軽薄才子」であり、また「技巧的」といいます。
現代ではテレビに登場する多くの芸能人は視聴者を笑わせるために「おっちょこちょい」を演じ、それを手本に子どもたちは成長します。今年は太宰治の『人間失格』の新装版がヒットして話題を呼びましたが、そのあたりにヒットの遠因があるようにも思われます。



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「本物」は、下にくることば次第で強烈な悪口にもなりえます。代表的なものとしては、「本物の悪人」「本物のバカ」があります。


「本物」を使った自虐的な用例
*男女同権〔1946〕〈太宰治〉「ダメのまた下のダメといふ、謂はば『ほんもの』のダメといふ事になりまして」


その解説
『男女同権』はダメ老詩人による文学講演、という体裁のおかしな小説です。この用例からも、「本物」と呼ばれるには、良いものでも悪いものでも高いレベルが求められることがわかります。
「ほんもの」に憧れつつ、ダメな自分をさらけ出した作家、太宰治は来年2008年に没後60周年を迎えます。時代を超越して読者を獲得し続ける彼の作品は、まさに「本物」といえるでしょう。

日時: 2007年12月20日 15:23
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