南半球の読者にとって、エリオットの描く四月はピンとこないだろう。北米のミシガン州に生まれたぼくも、体内のカレンダーを確かめたくなる。わが家の庭に生えていたライラックの木が、だいたい五月下旬から咲き出して、ミシガンのもっと北のほうのマッキノー島では、恒例の「ライラック・フェスティバル」が六月中旬に開かれる・・・・・・もちろん、エリオットは「咲かせ」ではなく「産ませ」と書いているので、四月がライラックに「新芽を出させ」る意味にもとれるが・・・・・。
The Waste Landを初めて読んだとき高校生だったぼくは、季節的なことよりも、もっと大きな時代のズレを感じた。「死んだ大地」といわれれば、例えばポリ塩化ビフェニルによって土壌が汚染されている工場跡地などが思い浮かぶ。ミシガンのあちこちに「眠りこける」大量の産業廃棄物が、いよいよ雨に溶けて河川を汚し、五大湖を毒す。そんな中で育ったぼくの目には、「四月が一番残酷」というのが、なんだか現実から離れて、大時代な発想に映った。
ただ、エリオットが表現した春の凄みは今も昔も変わらず、自然の容赦ない蘇生の力を、やや病的に捉えている面白さは伝わった。そして気がつけば、一種の音楽としてApril
is the cruellest month.... が耳の奥に植えつけられていた。
二十三歳で初めて体験した日本の四月は、残酷じゃなくてバタバタと忙しく、世界で一番賑やかな月なんじゃないかと思えた。当時ぼくは英会話スクールで教えていたが、生徒たちの進級と進学、新社会人の入社、それから人事異動や転勤も重なり、どのクラスも揺れ動いていた。にもかかわらず、みんな花見で連日、大いに盛り上がり、落ち着いたかと思ったら今度はゴールデンウィークの民族大移動。
「五月病」という日本語を教わったのは、ちょうど連休明けのクラスでだった。フリートーキングしていて、四十歳代のサラリーマンが「うちの会社の新人の中からMay
Sicknessにかかる者が出てくるだろう」と話した。こっちが首をかしげると、ほかの五、六人の生徒も英語力を合わせて説明してくれた。「一生懸命がんばったあと、つかの間の達成感がむなしさに変わり、心も体も変調をきたしてしまう病気」――そこまで分かってきたら、サラリーマンの彼から質問が出た。「アメリカにもある?」と。
セラピーとカウンセリングを好むアメリカ国民なら、どんなタイプの「鬱病」もありそうだ。でも、春特有のものは思いつかず、苦し紛れにぼくはApril
is the cruellest month.... のくだりを黒板に書いて、クラスに紹介した。「米国で税金を納める期限が四月十五日なので、季節に鈍感な人もエリオットの詩が身につまされる」という小話を、おまけに付け加えて。
よくよく考えてみれば、新学年が始まった翌月というのが「五月病」の大事なポイントなので、それをアメリカに置き換えた場合、秋に移行するはずだ。そういえば十月に、似たような現象がまったく生じていないとは言い切れない。心当たりとして、大学で世話になった美術史の先生の話が思い出される。二年生のとき、ぼくは休学してイタリアへ行こうと思い立ち、晩春のある日、相談してみた。「休学だろうと退学だろうと、いかなる場合でもイタリアに行くべきである!」と先生は冗談半分に言い放ち、それから自らのことを語ってくれた――。
「わたしは大学で四年間、大学院で三年間勉強して、小中高と合わせると十九年もの間、ずっと学校のリズムで生きていた。大学院を出てから仕事に就き、そこで初めて学校の枠から外れた秋を体験した。最初はひどく落ち込んで、新学年だというのに自分は何をしているのか、どうすればいいのか、虚脱感に襲われる毎日だった。でもその時期を乗り越えたら、虚脱感が解放感に変わった」
結局ぼくは、イタリアで学校の枠から外れた一年半をすごし、ほとんど解放感ばかりを味わった。もし先生のように虚脱感に襲われる人が多くなれば、その現象が命名されるに至るかもしれない。October
Sicknessは一見よさそうだが、ドイツ系アメリカ人が多いミシガンあたりでそういったら、「オクトーバーフェスト」の祭りでビールを呑みすぎて体をこわした病気かと、誤解されかねない。