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【第31回】 つぶつぶ
「百聞は一見にしかず」 ・・・・・・ 百回聞くより一回見たほうが分かるとは言う。けれど同じ聞くにしても、
「ピストルみたいな音が何度かして、人が叫んで倒れた音がして、怖くて鳥肌が立った」と説明されるより、
「パンパンパン!とピストルみたいな音がして、人がギャーッと叫んで、ドスッと倒れた音がして、怖くてぞぞーっと鳥肌が立った」と言ったほうが、より視覚的というか、臨場感がある。目で見る絵を、主体とする漫画なんかでは、こうした表現が多用されることで、絵の視覚性を文字が邪魔せず、助ける形になっている。
この「パンパンパン」「ギャーッ」「ドスッ」といった、ものが発する音を文字で表すのが「擬音語」、「ぞぞーっ」といった、ものの状態や感情を表すのが「擬態語」。二つあわせて「擬声語」と言うが、とくに擬態語のほうは、日本語には、他の言語と比べてとても多いらしく、古典にも、けっこう出てくる。
以前ここでも取り上げた“ほがらほがら”とか、“ふと”とか“つと”とか“きらきら”とか。
今回の“つぶつぶ”も、その一つ。
語源的には粒とか丸いものと関連すると思われる“つぶつぶ”の、意味範囲は広い。
涙が“つぶつぶ”と落ちる、“つぶつぶ”と妙な鳥の足跡みたいな文字を書く、“つぶつぶ”と事の次第を詳しく伝えたい、胸が“つぶつぶ”と鳴る ・・・・・・ 。
それぞれ現代語なら「ぽたぽた」「ぽつぽつ」「こまごま」「どきどき」といったところ。
文脈によって擬音語、擬態語、どちらにもなる擬声語なわけだが、とりわけ私が好きなのは、若い女の肌感を表す“つぶつぶ”。これが『源氏物語』には、絶妙な文脈で出てくる。
主人公の光源氏(以下、源氏)は十七歳の頃、夕顔の花咲く宿で、謎の女を見出す。彼女は「さして優れたところもないのに、なぜこうも」と我ながら不思議なほど、別れた朝、次に会う夕暮れまでの時間も待ちきれないくらい、源氏が溺れた女である。いわゆる「夕顔」で、彼女は実は源氏の親友の頭中将の妻のひとりだったのだが、頭中将の正妻に脅されて、逃げ隠れしていたところを、源氏に見出されたということが、夕顔の死後、その乳母子(めのとご)の証言で明らかになる。夕顔は源氏とデート中、変死したのだった。十九歳の若さだった。
その夕顔の遺児の、いわゆる「玉鬘(たまかずら)」を、源氏は三十五歳になって、ひょんなことから引き取ることになる。玉鬘の実父は頭中将なのだが、世間には「長く生き別れになっていた実の娘」と知らせつつ、手元に置いて、“かしづきぐさ” ・・・ 大事に世話をする種 ・・・ にしようと考えたのだ。夫が妻の実家に入って、妻の経済力により出世して、妻の実家に恩恵をもたらす婿取り婚の当時、娘は家をもり立てる種として、息子より大事にされていた。源氏はすでに太政大臣で、位人臣(くらいじんしん)を極めていたのだが、実の娘は明石の姫君ひとりしかいない。太政大臣は名誉職みたいなところがあって、家をもり立てるとかいうより、退屈しのぎが目的で、この玉鬘を、
“すき者どもの心尽くさするくさはひ” ・・・ 女好きどもの気をもませる種 ・・・ (「玉鬘」巻)にしようともくろんだのである。
この玉鬘が、源氏の想像を絶する素晴らしい女だった。
母夕顔をしのぐ美貌と、頭中将譲りの気品と知性と教養、そして笑い上戸の明るい性格に、あまたの“すき者ども”の心ばかりか、源氏自身がとりこになってしまうのだ。
無理もない。源氏こそ、『源氏物語』きっての“すき者”なのだから…。
さて。
その、“すき者”の王者、源氏から見た玉鬘が、“つぶつぶ”なのである。
彼女の申し分のない美貌と知性と性格を知った源氏は、周囲に実の父娘と思わせているのをいいことに、ちょくちょく玉鬘を覗きに来ていた。そして彼女が源氏に引き取られた翌年の初夏、衣服も冬服から薄い夏服へ“更衣(ころもがへ)”した頃の、雨上がりの夕暮れ。いつものように玉鬘の部屋を訪れた源氏に、くつろいでいた玉鬘は恥じらって顔が上気する。その愛らしさに、源氏は亡き夕顔のことが思い出されて、“忍びがたくて”
・・・ 辛抱たまらん状態になって…、その手を不意にとらえる。
貴婦人は父か同母兄弟か夫以外の男には姿を見せない平安時代である。そのため“見る”ことイコール「セックス」や「結婚」を意味していた当時である。実は、源氏の娘でもなんでもない若い玉鬘にとって、源氏に姿を見られるだけでも恥ずかしいことなのに、手を握られたのである。
源氏、数えで三十六歳。玉鬘は同じく二十二歳、満二十一歳だ。当時の貴婦人なら結婚していてもおかしくない年頃とはいえ、まだ男を知らない玉鬘は「怖い」と思って、その場に突っ伏した。
その姿が、源氏にとっては“いみじうなつかし” ・・・ たまらなくそそられる
・・・ 。
無理もない。二十一歳と言えば、女性ホルモンの分泌も十代より盛んになって、最も美しい年代にさしかかる頃である。そんな年頃の、忘れられない女の遺児で、その女より美しい娘が、目の前で可愛く震えているのである。しかも季節は先に書いたように初夏。身にはおそらく「単衣(ひとえ)」の薄絹なんかをつけているだけだったろう。これは源氏物語絵巻を見ても分かるが、今で言うならシースルー。肌や体のラインが透けて見える。源氏はまずその姿に、視覚からくらくらしたに違いない。それで思わず握ったその"手つき"は、 “つぶつぶと肥えたまへる、身なり肌つきのこまやかにうつくしげ”(「胡蝶」巻)であった。手つきは“つぶつぶ”と肉づきがよく、体つきや肌の質感がきめこまかで、いかにも可憐ということが、視覚だけでなく触覚でも、源氏の心身に伝わったのである。"すき者"の血が騒がなかったらどうかしてる。
この“つぶつぶ”、現代語では「ふっくら」とか「むっちり」と訳されることが多いが、私は「ぴちぴち」という感じかな?と思っている。いずれにしてもここに限っては“つぶつぶ”以外に考えられず、若い女の肌の、張りのある、みずみずしい感じ、脂肪の粒が一つ一つぴちぴちとみなぎっていて、指ではじくと、勢いよくはじき返してくる生命力に満ちた感じを“つぶつぶ”ほど、うまく表現できる擬声語はないと思うのだ。
同時に、“つぶつぶ”とした若い女に触れる源氏の胸も、それと描かれずとも“つぶつぶ”と高鳴り、血も湧きたっていたに違いないと連想されて、よけいに臨場感が増す。
ま、結局、玉鬘があんまり嫌がるんで、何もせずじまいに終わり、玉鬘は別の男の妻になるわけだが。この場面、古語で言えば“つぶつぶ”と、つまりすごく詳しく描かれているのも特徴で、若い女の肉体、男の胸の高鳴り、それを残らずレポートしようとする語り手の意欲、そのすべてが“つぶつぶ”となって、読み手に生々しく迫る。それによって妄想が広がって、見ているよりもエロいだろうという気持ちになる。百聞や一見をしのぐ、ことばの威力である。
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