立ち読みコーナー  
  【おわりに】  

 私は得体のしれない淋しさに襲われたとき、最も手近に、まずは歩き出す。
 幸い、まだ元気で自由に歩くことができ、気ままに一時間ほどして戻ってきたとき、家を出る前とは心身の状態が違っていることを体験的に知っている。道々で出会った草花や樹木、今日新たに目の中に飛びこんできた風景に、何より心が慰められるのだろう。とくに花はきれいで神秘的だから、散歩は飽きることがない。
 思えば幼いころから、庭はもちろん、原っぱや道端に咲く花々に心惹(ひ)かれてきた。自宅前の原の隅に、人に踏まれずに生えていた姫女苑や金鳳花のような小花の群れ、それらと一緒に生えるイネ科の雑草が広がる空間に魅せられて佇(たたず)んだりしたときのことを、その後もずっと忘れずにいる。
 こうした生きる中での、いろいろな思いで出会った植物に触発されて、胸に浮かんだこと、思い出した風景、親しかった人の面影を、おりおりに書きとどめてもきた。もしも記しとどめなければ、消えていってしまいそうな淡い感慨を、花々に対する愛着に促されるかたちで書いてきた。その時その時の迷いや屈託、喜びや切なさを書きとどめることは、気持ちを発散させ、自分を落ち着かせてくれることでもあった。
 そういうものを、こうして臆面もなくさらすことは、じつに恥ずかしいというか、ある面ではとても図々しいことのように感じなくもない。とくにこの文章を書いていた時期は、息子たちはもう自立して家を出ていたから、私は自由だけれども淋しい、そんなときだった。私は染色に熱中することで心の均衡を保っていたが、制作がうまく進んでいるときは気分が持ち上がって元気でも、乗れないときには落ち込みもした。加えて、息子の転職や結婚、団地の建て替え問題、夫の健康問題など、老いの入口に差しかかれば誰にでも訪れるような出来事が、次から次へと降りかかってきた。
 そういう意味では、平凡な日常を送る私のこの勝手な短文も、同世代の人々に共感してもらえるものがあるのではないか、そうであれば、どんなにかうれしいことかと思う。それは決して孤独ではないということなのだから。
 (以下略)
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