立ち読みコーナー  
  【はしがき】  

 明治維新に当たって法制度や経済の仕組みの整備と同じように緊急深刻であったのが言語の問題でした。北から南へ細長く広がる日本列島の話し言葉は、音韻体系の違いも含めたなまりの問題から各地域特有の語彙に至るまで実にさまざまでした。徐々に「国家」の形も整い、学校教育も広がり、「国民」の一体感も育成される中で、必然的に全国共通の「国語」が模索されることになりました。そして、「国家」「国民」「国語」が三位一体となって国民国家を支えてきたのでした。日本という「国家」に伴って創成された「国語」は、善きにつけ悪しきにつけ「国民」の連体をとりもつきずなの役割を果たしてきました。そのために教育の普及とともに書き言葉の工夫やいわゆる標準語形成の努力がさまざまに行われてきたのでした。
 明治も半ばを過ぎて、「国語」という言葉が定着したところで、改めて「国家」が国語問題を取り上げました。明治三十三年、一九〇〇年のことでした。国として国語問題を扱う機関はいろいろに変遷してきましたが、爾来一〇〇年を経た平成十二年すなわち二〇〇〇年に国語審議会の廃止をもって一区切りとなりました。第一部「国語審議会≠フ歩んできた道」は、奇しくも二〇世紀と重なるその一〇〇年を検証するものですが、特に後半の戦後五〇年について詳しく見ることにしました。その前半についてはすでに多く論じられてきましたし、私も『「国語」と「国語辞典」の時代』の中で触れております。
 いわゆる国語問題のうち、標準語の形成については主として国語教育が分担する形となりまして、国民的論議を呼んできたのは漢字と仮名遣いの問題でした。それらも本来的には文体にかかわるものですが、大方は表記の段階にとどまるものでした。文章については言論、文学界を始めとして民間において議論され工夫されることが多く、いわゆる言文一致運動が大きな潮流となっていました。そして、明治から大正に変わるあたりで、一般に用いられる文章のスタイルがほぼかたまって定着しました。その間、文の統辞法に代表される文法問題とともに、漢字と仮名の併用の仕方についてさまざまな議論や工夫が行われました。このようにして広く使われるべき普通文≠模索してきた結果、今日言うところの漢字仮名交り文≠ノ落ち着いたというわけです。いまだに仮名漢字交り文≠ニ言う人もいるように細かく言えばなお問題はありますが、漢字仮名交り文≠ニ称するとき、大方は今日の普通文≠ニしてのその内容が暗黙のうちに理解されるに至っています。もとより常用漢字や現代仮名遣いがほぼ定着した背景があってのことであります。それら表記の仕方を含めて現代文を象徴する用語漢字仮名交り文≠ェ共通に認識されるまでの軌跡をたどったのが、第二部「漢字仮名交り文≠ヨの道のり」です。
 一部・二部は主として記録文献をもとにして論じたものですが、それを補うべく生き証人に語ってもらったものを付載しました。「古書肆大旦那の語る国語・国文」がそれです。聞き書きとしてまとめ、いくつかの話題についてはその背景等を示す補助注記を添えてあります。関連年表は、第一部のために作成したものですが、第二部以下にも共通するところから、索引とともに巻末に収めました。
 二一世紀の国際社会の中で日本語を考えていくに当たっては、その拠って立つ歴史的な素地をしっかり見据えておく必要がありましょう。日本語を愛し日本語を大事にしていこうという方々に広く呼んでいただければ幸いです。

このページを閉じます

© Shogakukan Inc. All rights reserved. No Repro duction or republication without written permission.
掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。