立ち読みコーナー  
  【いわゆる「吉田提案」とその成果】  

 このようにして、第六期以降の国語審議会は様相が違ってきました。そしてこの期には歴史的ないわゆる「吉田提案」が提出されています。もっともその期のうちには議論されることなく終わり、次の第七期に再提出されるのでした。そのときさらに三つの提案が追加されましたので「吉田提案」は四つの議案となったのでした。提案者吉田富三委員は医学の泰斗、時のガン研究所所長でした。
 第六・七期の国語審議会については、この「吉田提案」を見ておくだけで十分だと思います。それを契機にして、国語施策の道のりは大きく方向転換されていくことになります。第六期、昭和三十七年十二月十三日第四十九回総会に出された「吉田提案」は次のようなものでした。

議案
 国語審議会が「国語」に関して審議する立場を、次の如く規定して、これを公表する。
 「国語は、漢字仮名交りを以て、その表記の正則とする。国語審議会は、この前提の下に、国語の改善を審議するものである。」

 これに詳しい提案理由が添えられました。明治以来の漢字全廃論に根ざした国語改革思想が否定されないまま今日に至っている流れに終止符を打ちたいというものでした。
 第七期、昭和三十九年三月十三日の第五十三回総会に再提案されたときには、次の三つの議案が追加されていました。会長は、七月に阿部真之助が亡くなり、そのあと日本育英会会長の森戸辰男に変わります。

議案(二)
 国語における伝統尊重の具体的方策を審議すること。

言葉は単なる伝達の手段ではなく、「社会的伝統的歴史的なもの」である。それを尊重する具体策を審議していきたいというものです。

議案(三)
 小学校の漢字教育について、石井勲氏の主張と実践とを専門的に調査研究し、漢字教育の方式として採用に価するものとの結論を得れば、国として採用の策を講ずること。

 漢字学習の困難が漢字制限の根拠とされてきたのですが、はたしてほんとうにそうなのかを石井方式について検証したいというものです。

議案(四)
 「現代かなづかい」は、日本の新しい仮名遣ひを創造することを企図したものか、歴史的仮名遣ひを基準として、その不合理、不備の点等を正すことを方針とするものか、何れであるかを明らかにすること。

 「現代かなづかい」は「現代語音に基づく」とされていましたが、現代語音および現代語とは何かを定めない限りその制定の基礎が失われるとしています。
 以上仮に(二)(三)(四)と番号をつけた議案はいささかつけ足しのきらいがあり、提案者自身も会の雰囲気ももっぱら当初の、漢字仮名交り文の公認問題に集中しました。
 「吉田提案」は第一部会で検討され、第五十六回総会で慶応義塾大学教授の相良守峯部会長が報告しました。

漢字かなまじり文について審議することは当然のことであり賛成であるが、このことを今日の時点でわざわざ声明するには及ぶまいという意見であった。

というものでしたが、それを受けるように森戸会長も、

声明するまでもないこととして了解された…

という線で終始します。提案後約一年経った昭和四十年三月十九日のことでした。「吉田提案」をめぐる詳しい審議内容はあちこちで紹介されていますので割愛しますが、議論は同年十二月九日の第五十七回総会に続きます。その際、吉田委員は、明治三十五年の国語調査委員会の基本方針「文字ハ音韻文字ヲ採用スルコトヽシ」を持ち出して、それ以来文部省が策定してきた国語施策はこの方針に忠実に従ってきたとし、その歴史を振り返って「このことは戦後の一連の国語施策に最も如実に現わされている」と断じています。そして、その基本方針を「廃棄ないし修正することを表明し、かつ、国語審議会は漢字かなまじり文を前提に審議するということを、公表してほしいというわけである」と喰い下がるのでした。
 森戸会長は、漢字全廃という基本方針が文部省に生きているとは考えられないと応じます。しかし、明治三十年来、敗戦をもくぐり抜けて文部省内にあって国語施策をリードしてきた保科孝一の言動や回想とそれに続く審議とをたどってきたいま、森戸会長の受けとめ方はおざなりに思えます。そうではありますが、「吉田提案」について森戸会長が新聞発表することで決着します。その日のうちに行われた新聞発表の文言は次のようなものでした。

国語審議会においては、今日まで漢字かなまじり文を前提として審議を行なってきたのであります。文部省においても漢字かなまじり文を対象としてきているので、漢字全廃ということは考えられません。

 明治三十五年までさかのぼらないまでも、せめて戦後一連の国語施策まで視点をもどせば、とてもそのように単純な認識で済まされるものではないはずです。議論の中で森戸会長は「二度文部大臣を務めた経験からいっても」という論拠を示していましたが、ごく直近のないしは現状の認識だけでかたづけてしまったのでした。吉田委員の真意は通じなかったのです。
 年末に新聞発表があって年が改まった翌四十一年一月八日、時の内閣で首相の地位にあった佐藤栄作が初閣議で国語審議会批判の発言をします。閣僚からも活発な意見が出されたと新聞が報道しました。そして、自民党文教部会に国語問題小委員会が発足するという動きに発展するのですが、その火つけ役は、当時経済顧問をしていた小汀利得が首相に「今の当用漢字では首相の名佐藤の藤は書けないんですよ」と訴えたのがきっかけだったそうです。驚愕した首相が直ちに文部大臣中村梅吉を呼んで何らかの指示をしたと伝えられています。

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