立ち読みコーナー  
  【反美人製造機】  

 大学生活最後の春のこと、私たちは授業をさぼって麻雀を打っていた。ゲームの最中に、対面のスギタニが、ふっと顔をあげて、「お前とつきあうと女の子はブスになるよな」と云った。
 ぎくっとする。ほかのふたりも牌をみつめたまま、静かに頷いている。私は胸がどきどきしてくる。腹は立たない。やっぱり、そうか、と思う。自分でも、うすうすそんな気がしていたのだ。過去のガールフレンドたちのことを想い浮かべてみる。ママコ(仮名)、モレヨ(仮名)、スワカ(仮名)、みんな、可愛い人々だった。
 だが、私とつきあって、しばらくすると、なんだか表情がどんよりして、動きが鈍くなり、生き生きとした魅力がなくなってしまうのだった。二ヶ月で8キロ太ったり、愛用の帽子が似合わなくなったり、風邪をひきやすくなった子もいる。そうなると、もはや容姿のレベルの問題ではない。私とつきあうと免疫機能まで低下するのだろうか。なんだか、自分が疫病神のように思えて不安になる。スギタニはそれっきりなにも云わなかった。私も目の前のゲームに意識を集中しようとする。だが、その日の麻雀は大負けだった。

 それから十数年後のある日、私はレストランのサラダバーの前に立っていた。大きな皿に食べたいと思うものを次々に載せてゆく。
 そのとき、カウンターをはさんで私の前にいた女のことが妙に気になった。吸い寄せられるように、何度も目がいってしまう。
 特別な美人という訳ではない。だが、そのひとは普通に果物や野菜を選んでいるだけなのに、なんだか、とても楽しいことをしているような雰囲気があるのだった。きらきらした瞳と口元に浮かんだ微笑、果物をとる腕の伸び方までがきれいなオーラに包まれているようだ。
 何故、このひとはこんなにきれいにみえるのか、と怪訝に思いながら、しばらく目で追っていた私は、やがてその理由にきづいた。
 女には連れがあったのだ。少し離れたところにいたので、最初はわからなかったのだが、カウンター越しに視線を交わしあう様子から、ふたりがカップルであることは明らかだ。
 すっとみつめあっては、微笑み、軽く声を掛けあう。そこには、さりげないけれど深い信頼が感じられた。
 女はサラダバーにいることが単純に嬉しいわけではなかった。その微笑は、信頼できる男性の愛情に包まれている、その喜びと安心によって支えられていたのだ。それぞれが盛りつけた皿を比べあうふたりは、本当に幸福そうだった。
 うう、と私は思った。学生の頃、私は自分のことで手一杯でガールフレンドを思いやる余裕など皆無だった。
 恋人が髪型を変えても全く気づかない。ご飯をつくってもらっても、おいしいね、とも云わない。おまけにジュースやコーヒー飲むときに、カップやグラスの底に1センチほど残す癖があった。
 とうとうある日、「どうして必ずちょっとだけ残すの」と云われてしまった。ガールフレンドの口調は怒っているというよりも、ひどく張り詰めて悲しそうだった。「おまえとつきあうと女の子はブスになるよな」というスギタニの言葉が蘇る。あの言葉は正しかった。飲み残しが底に1センチだけ入った無数のグラスたちが、きらきらした女の子のオーラを削り取ってしまったのだ。
 私の基本的な性格は今も変わっていない。相変わらず自分のことで手一杯。女性に甘え、依存するだけで、こちらからのフォローはほとんどできない有様だ。三つ子の魂百までか、と思って恐ろしくなる。

 今年、私は友人の歌人東直子さんといっしょに『回転ドアは、順番に』という本をつくった。「言葉でどこまで愛しあえるか?」というサブタイトルの通り、そのなかで私たちは言葉のの限りを尽くして恋に墜ちている。せめて現実を離れた創造の世界で、私もあのサラダバーの男になろうとした。深い信頼のなかで見つめあい笑いあう世界。
 先日、久しぶりに会った東さんは、相変わらずきれいな笑顔を浮かべていた。「あのー、風邪ひきやすくなってないですか?」「え?元気よ」
 ああ、よかった。

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