立ち読みコーナー  
  【世界音痴】  

 飲み会が苦手である。友だちにそう云うと、飲み会なんて、ただ自然に楽しめばいいだけじゃないか、と不思議がられる。だが、私はまさにその「自然に」楽しむことが、いちばん苦手なのである。飲み会に出るぐらいなら、その間中、ずっと腕立て伏せとフッキンをしていた方がいいと思う。
 飲み会の席では大抵両サイドにひとがいる。右側のひとと話をしていると、左のひとが気になってしかたがない。左側のひとと話をしているときはその逆である。両サイドのひとと「自然に」話をすることができないために、バランスを過剰に意識し続けることになって苦しい。
 やがて座が盛り上がってくると、みんなは「自然に」席を移動しはじめる。自分のグラスを手に、トイレに立ったひとの席に「自然に」座っている。座られた方もごく「自然に」また別のところに移動して、その場所で新たな話の輪をつくっている。だが、私には最初に座った席を動くことが、どうしても出来ない。
 みんなのようにやればいいんだと思っても、トイレに立ったひとの席に自分が座ってしまうと、何かおそろしいことが起きるような気がして体が動かない。なぜなら、私だけは「自然に」それができないからだ。
 これは全く無根拠なおそれではない。例えば、これも苦手な寿司屋のカウンターで、何かを注文しようとするとき、私は板前さんの動きをじっとみて、いちばん手が空いてそうな瞬間を狙って注文する。出来る限り丁寧に、はっきりと発声して、「すみません、●●お願いします」と頼む。ほとんど同時に、酔っぱらいが「兄ちゃん、▲▲」とだみ声で叫ぶ。その結果どうなるか、私の注文が忘れられるのである。
 酔っぱらいは、板前さんの状況など見てもいない。丁寧でも、発声がはっきりしているわけでもない。ただ己の欲求に従って「自然に」声をかけたのである。彼はさらに「あ、▲▲とりやめ、やっぱ■■」などと云ったりする。これでもう、間違いなく私の注文は忘れ去られる。
 酔っぱらいが注文を変えたために、板前さんが混乱したわけではない。云い直しによって彼我の「自然さ」の落差が、さらに開いたことが問題なのである。その証拠に、酔っぱらい二人が同時に「▲▲とりやめ、やっぱ■■」をやっても、板前さんは決して注文を忘れたりはしない。
 「自然さ」を奪われた者は、世界の中に入れない。私が口にした注文は、朝日に溶ける幽霊のように、どこかへ消えてしまったのである。
 飲み会のとき、離れた席から、ほむらくーん、と呼ばれると、涙が出るほどうれしい。呼ばれた理由が何であってもうれしい。いそいそとそこまで行ったところで「眼鏡外してみせて。ほらほら、このひと眼鏡外すと面白いんだよ」と云われてもうれしい。この世界に、一瞬、触われたことがうれしいのである。

 黄昏のレモン明るくころがりてわれを容れざる世界をおもふ  井辻 朱美

このページを閉じます

© Shogakukan Inc. All rights reserved. No Repro duction or republication without written permission.
掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。