立ち読みコーナー  
  【あとがき】  

 「誰のことも、一番好きな相手のことも、自分自身に比べたら十分の一も好きじゃないよね、あなたは」。十年間つきあっていた相手が、或る日、私に向かってそう云った。責める口調ではなかった。ずっと一緒にいて感じていたことが自然に口から出た、という印象だった。
 突き詰めれば誰だってそうじゃないのか、とか、自分自身を愛せない人間には他人も愛せないはず、とか、無償の愛と云っても結局は自己満足の変形ではないか、とか、いろいろな云い分が私の頭を駆け巡ったが、そのどれも口に出すことは出来なかった。彼女の言葉は正しかった。彼女はその瞬間も私のことが好きだったのだ。
 生きることの意味が知りたかった。素晴らしいひとになりたかった。私は確かにそんな風に考えていたはずだ。今もそう考えている。だが、そうした願いのすべてが、いつの間にか「この世は一度きり、主人公は誰? 大切なものは何?」という問いに強く結びついていたのだ。この世は一度きり、主人公は<私>、大切なものは<私の夢>。その結果、何が起きたのか。
 究極の愛を、決定的な誰かを求めて、ロマンチックな理想の出遭い(駅のホームのこちら側と向こう側で偶然目が合う。その瞬間、轟音と共に双方の電車が入ってくる。自分はあの「目」のせいで、どうしてもそれに乗ることができない。電車が去ったあと呆然と立ち尽くす私の前に、やはり無人の向こう岸にただひとり取り残されてこちらをみつめる姿があった。あなただ。)を繰り返し夢想しつづけた私だが、その「決定的な誰か」とは、ついに<私>自身のことでしかなかったのではないか。
 どのような現実の出遭いも、生身の恋人も、旧い友人も、自分の子供も、結局のところ<私の夢>にとっては邪魔だったのではないか。だから、それらはみんな消え去ってしまった。最も幸福な国の、最も幸福な時代の、最も幸福な日々のなかで、すべては幻になった。私には望み通り<私>と<私の夢>だけが残された。
 今の私は、人間が自分かわいさを極限まで突き詰めるとどうなるのか、自分自身を使って人体実験をしているようなものだと思う。本書は云わばその報告書である。ビタミン小僧、菓子パン地獄、ひとりっこ、恋愛幽霊、青春ゾンビ、世界音痴……。感情から行動のディテールに至る記述には正直を心掛けた。
 『短歌という爆弾』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』に続いてお世話になった編集の村井康司さん、ありがとう。駅のホームの理想の出遭いの話を何度も繰り返す私に向かって、「回転寿司の撮影やりましょう」「良いお店みつかりました」「マグロ、タマゴ、マグロ、タマゴの並びがいいですよね」「カッパ巻きも混ぜてみようかな」等々、現実の面白さと凄さを教えてくれた、その情熱に感謝しています。


        穂村 弘

二〇〇二年二月二日(夜)  自室にて

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