立ち読みコーナー  
  【くしゃみ、糞食らえ】  
     
   英語と日本語を、ぼくは五分五分くらいに使って生きている(ひょっとしたら日本語の割合のほうが少し多いか)。
 自分の言語力への不満は多々あるが、言語そのものへの不満はほとんどない。ただし、二つの国を比べるのと同じように、和英と英和をあれこれ比較してみると、長所短所が見えてきて、「欲をいえば」といった具合に、欲が出る。
 例えば、英語の場合は否定か肯定か、イエスかノーかすぐ文の頭ではっきりする。はっきりさせるしかない。それに引き替え、「というふうに思わない・・・・・わけでも・・・・・ないのですが・・・・・ね・・・・・」と、相手の顔色をうかがいながら話せることは、英語にない日本語の妙味だ。
 逆に英語から、もし日本語もこうだったらなぁと思うところもある。些細(ささい)なことなのだが、最初に浮かんでくるのは「くしゃみ」。
 いや、くしゃみ自体に何ら不足はない。Ahchoo! ハクション!どちらの効果音で息と鼻水と粘膜の痒(かゆ)みを吹き飛ばしたとて、同じくらい気分爽快だ。
 もちろん、「くしゃみ」という単語が英語のsneezeに劣っているわけでもない。むしろ、日本語の場合は「嚔(くしゃみ)」と漢字でも書けるし、『歳時記』にも載っているし、単語というよりも輝かしい詩語だ。一句をひねったことがある――。
  
   二つ目の嚔を待てどついに出ず

 では、どこが不満かというと、それはくしゃみが果てた後のフォロー、相手のハクションへの言語的対応だ。
 英語にはBless you という慣用句があって(God bless you の短縮形)、だれかがくしゃみをしたら、周りの人が必ずいってあげる言葉。直訳すれば「神の加護があなたにありますように」になるが、要するに昔々、人々はくしゃみを不吉の前兆、あるいは悪魔が体内に入ってくるスキというふうに捉(とら)えたらしく、身を守るために発したマジナイだ。それが段々と、一種の挨拶(あいさつ)と化して、今はぼくみたいな無神論者でも平気で使える。
 喫茶店で打ち合わせをしていて、相手の大くしゃみで話が途切れたとしても、英語ならこっちが反射的に Bless you をいえば、まるで何もなかったかのように、自然と話がつながって進んでいく。しかし日本語では、そうすんなりとはいかない。大くしゃみの相手に、何もいわないのもちょっと変だし、「お大事に」では別れの挨拶っぽい。ぼくは「風邪ですか」とその場をごまかすことが多いが、やはりイマイチしっくりこない。
 日本で、人のくしゃみに出くわすたびに、それがずっと気になっていた。そして今年の一月、沖縄へ出かけて沖縄口(ウチナーグチ)に出くわし、沖縄の人のくしゃみにも出くわして発見した――「クスクェーヒャー」。 標準語に訳すと「糞食らえ」、くしゃみが出たとき、沖縄口ではこういう。
 ハクションの主をののしっていうのではなく、くしゃみを引き起こさせた魔物に対しての脅かし、風邪を吹き飛ばすためのマジナイなのだ。字面は Bless you とずいぶん違って見えるが、発想の元はいっしょ。
 沖縄土産「クスクェーヒャー」を東京へ持ち帰ってから、気がついた。「沖縄口で〈くしゃみ〉のことをなんていうか、聞くの忘れちゃった・・・・・。そういえば〈くさめ〉という言い方もあったなぁ・・・・・」。
 そこで『広辞苑』を引いてみると、「くさめ」の(2)のところにこうあった。「くしゃみが出たとき唱えるまじないの語。〈休息万病(くそくまんびょう)〉を早口に言ったものという」
 なんだ、「くしゃみ」に音変化する前の「くさめ」という言葉が、もともとはBless you だったのか。でも、どちらかといえば「クスクェーヒャー」のほうが、なんだか味がある。
 しかも、嫌な相手なら、そのくしゃみを待たずに、使えそうだ。

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