立ち読みコーナー  
  【はしがき】  

 一九七三年の秋、私は山口大学の当時の文理学部に最年少の教員として赴任した。助手時代の一年半は、週1コマ国語学演習(万葉集)だけを担当し、大切な「ゆとりが人を作る」という環境は整っていた。思えばぜいたくなこと。願ってもない好条件を生かしきれたかどうかは疑問だが・・・。あいさつの仕方一つをとっても、若い頃は「ヨロシクお願いしま〜す。」だったのに、今では、古い副詞「ひとつ」(依頼の意)を上にくっつけて、「ひとつよろしくお願い致します。」と言うようになり、随分変わった。あれから三十年の歳月が流れているが、研究と教育の盛りを過ぎたわけではない。

 今私が最も楽しんでいるのは、日本語をめぐって、A5判の大きさの質問カードを使って学生たちと授業を一緒に作っていくことである。二〇〇四年度には、共通教育の言語学(国語学)を中心に、彼らが毎週約三〇〇枚のカードを提出してくれた。これに放送大学(山口学習センター)他の受講生も加わり、「私はこう思います」「それは違うのでは・・・」と、次々に疑問や意見を寄せてくる。「それなら、このいつもの質疑応答形式(双方向)の授業風景を紙上に再現し、多くの学生の知恵を記録に残して生かしたい。」と考えたのである。
 まず、提出されたカードで、是非紹介したいものを二〇枚くらいに絞り込む。疑問や意見の大半は、一枚の地図・資料さえ提示して説明すればすむ程度だったが、正直言って、私の知識では即答できないものもあった。ただ、そのことが、学生と同じ土俵・同じ目線で考えるという点では、思いがけない好結果を生んだようである。「今頃の学生は…」と言われることが多いが、いやいやどうして、学生たちには優れた発想があり、それに、「これは!」というようなひらめきがあった。中には、私など思わず立ち往生してしまうような鋭い指摘もあった。そんな時は、こっそりと、『日本国語大辞典』『角川古語大辞典』等々に目を通したりして、教師の舞台裏もけっこうねじり鉢巻きだったのである。

 さて、私は中学校の英語でつまずいた。「son」「mother」の「o」をなぜ「ア」と読むのか、「o」がもう一つ添加した「book」「foot」の「oo」がなぜ「ウッ」になるのか、「autumn」「august」の「au」がなぜ「オー」なのかが分からなかった。知っていれば、英語がもっと楽しいものになっていただろうな・・・と思う。

 ところが、山口大学に入学して「国文学研究室」に入り、そこで見えてきたものがあった。「日本語研究との出会い」である。関一雄先生の初回の「国語学演習」で担当したのが、『源氏物語』「桐壺巻」の冒頭部分、「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬ‘が’、すぐれて時めきたまふありけり」、そこの助詞「が」をめぐる問題であった。それだけを課題に、一週間以上かけて、それはもうじっくり考えてレポートの準備をした。その際、一読を薦められたのが、早逝した国語学者石垣謙二氏の『助詞の歴史的研究』(岩波書店)であった。この研究書に接した時に、私は、今までに経験したことのない、「日本語をまな板の上に乗せて観察し、それと取っ組み合っている充実感」を味わっていた。子供の頃に感じた、「逆上がりや懸垂が初めて出来た」時のあの手応えにも似た体験であった。パッと前が開けたのである。

 それと同じように、この授業、「学生と一緒に日本語を考える」を通じて、彼らなりに、ふだん何気なく使っていることばを分析し、改めて、こんな意味合いや特徴・働きを持っていたのかと気づいてもらえたこと、振り返ると、それが一番の収穫だったと思う。
 表現手段としての日本語、そこには日本人を知る宝の山がたくさんある。 彼らに切に願うのは、その日本語を感知するアンテナを錆びつかせないでほしい、そのことである。  本書の副題は、「かけがえのないことば、日本語」としたつもりだが、本来、豊かな感性を持ち合わせている学生たちが、即答は得意でなくとも、考えぬいた末に心に響く日本語で物が言え、書ける日本人になってほしいと思う。

 研究者の命は「研究と教育」に尽きるだろう。研究者としての本分を忘れること無くたゆまず努め、同時に、学ぶ喜びを学生とともに分かち合いたいものである。そうして、新たな時代の担い手を一人でも多く育てていければと思っている。
 山口大学は、大学の理念に「発見し、はぐくみ、形にする」を掲げている。本書は、その「発見し、はぐくむ」姿を一つの形にした「知の広場」のつもりである。

      二〇〇五年四月
                                    添田健治郎
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