第 4回 売れっ子

今、「売れっ子」というとさしずめ「AKB48」あたりであろうか。総選挙とかじゃんけん大会とかで毎年大騒ぎ。今年は紅白応援隊までつとめている。なんだ、若い娘(こ)を「十把一絡(じっぱひとから)げ」で売り出して、という憎まれ口はやめておこう。
ひと昔まえなら、毎晩、お座敷がかかって人気のある芸妓を「売れっ子」と言った。江戸時代なら、柳橋の芸者といったところであろうか。
この「売れっ子」という言葉は、いわゆる江戸語だと思われている。
明治の作家・幸堂得知(こうどうとくち)が翻刻した、山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)『京伝憂世之酔醒(きょうでんうきよのえいさめ)』(寛政2年〈1790〉刊)に出てくるからだ(『続帝国文庫 黄表紙百種』、明治34年刊)。原文には「名ある妓女(ぎじょ)」と書かれているのに、「名ある妓女(うれっこ)」としてしまった。これによって、「売れっ子」は江戸語とされたが、同じ意味の江戸語なら「流行妓(はやりっこ)」であろう。
図版の三味線を弾いている娘が、その「名ある妓女」である。
得知がくずし字の原文を読めなかったのか、それとも明治の半ば頃に「流行妓」という言葉がすたって「売れっ子」芸妓の時代になったのか。歌舞伎の台本にも「売れっ子」が使われるようになっている。
なにしろ得知は道楽半分の文士の集団・根岸派の作家。原文をアレンジしたりストーリーをつなげたりする癖がある。かつて井上ひさし氏が、得知の翻刻を読んで、黄表紙は面白い大人のマンガだとさかんに推奨したが、得知が勝手に創作しているから読んで楽しいのである。
だが、面白いとばかり喜んでいられないのが研究者である。アリバイ探しの刑事のように、文献を吟味して言葉が存在するかどうか確認しなければならない。その労力を考えると、国語学のみならず日本文学基礎研究をコツコツやっている手合などは、華やかな脚光をあびる「売れっ子」には、とてもなれそうにもない。

深川の遊郭で「名ある妓女」を呼び出して遊ぶ京伝(左)。ヒマを持てあました京伝が、仙人からなんでも望みがかなうという仙薬をもらい、深川~品川~吉原と遊里を遊び歩くが、すべて狐のしわざだったという話。(『京伝憂世之酔醒』東京都立中央図書館東京誌料蔵)

幸堂得知…1843~1913。江戸生まれの劇評家・小説家。根岸派の文人。銀行員から東京朝日新聞社員となり、江戸通として劇評や小説を多く発表。著作に『大通世界』『幸堂滑稽談』などがある。

根岸派…明治中期、東京都台東区根岸付近に住んだ文人の一団。饗庭幸村(あえばこうそん)、森田思軒(しけん)などを中心として、趣味性、遊興性が強い文芸を得意とした。

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