第10回 手前味噌


 味噌は健康によいスローフード。寒仕込みで手作りされた方もいることだろう。これはまさに「手前(てまえ)味噌」なのだが、自分で自分のことを褒(ほ)めたり自慢したりすることもこういう。
 江戸時代、自慢することを「味噌を上げる」と言った。また、自分に都合よくふるまうことを「手前味噌」と言った。『諺苑(げんえん)』(寛政9年〈1797〉成立)には「手前味噌で塩が辛い」(塩が辛いというのは、自分の都合のいいようにすること)とあるから、この頃にはいっぱんに広まっていた言葉と考えてよかろう。
 味噌は、江戸時代になって、発酵調味料として急速に普及したようだ。大豆を主原料にするが、米糠(こめぬか)を使用する場合は「糠味噌」という。現在でも漬物などで使われ、「ぬかみそ臭い古女房」などと、たとえとしても言われている。
 糠味噌は、糂?味噌(じんだみそ)とも言う。味噌と同様、こちらもたとえとしてよく使われる。「隣の糂?味噌」は、他人のものはみなよく見えることであり、「隣の花は赤い」「他人の飯は白い」と同義である。かつてテレビドラマの題名から諺(ことわざ)にまで発展するかと思われた「隣の芝生(しばふ)は青い」なども同じ意味である。
 また、「女郎買いの糠味噌汁」といえば、遊ぶ金は浪費しても家庭での食事は粗末なもので間に合わせるというわけで、身につまされる諺である。
 現代では味噌はパッケージを外せばすぐ使用できるようになっているが、江戸時代は発酵した大豆を擂鉢(すりばち)で擂ってから使ったようである。ひょっとしたら現代より多様な賞味の仕方があったようにも思われる。庶民にもっとも親しまれた調味料というところであったろう。
 味噌を杉板や皿に塗りつけ、遠火で焼いて香ばしい匂いをさせ、酒の肴(さかな)や飯のおかずにして食べることは贅沢(ぜいたく)とされた。それから、「焼味噌を焼くと金が逃げていく」という俗信が生まれた。
 図版は、世の中を逆さに見立てた山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙『孔子縞于時藍染(こうしじまときにあいぞめ)』(寛政元年〈1789〉刊)から。貧乏になりたいと願い、焼味噌を焼いている。

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焼味噌が貧乏神の好物というので、金が逃げていくように焼味噌を焼く男。(『孔子縞于時藍染』東京都立中央図書館加賀文庫蔵)
『諺苑』…江戸時代の国語辞典。これを増補改訂したのが『俚言集覧』(りげんしゅうらん)』。
『孔子縞于時藍染』…松平定信(さだのぶ)が行なった寛政の改革を皮肉った作品。遊女が客に金を押し付け、追いはぎが身ぐるみ置いて逃げるなど、逆転した世の中を描く。

第10回 手前味噌
そのことば江戸っ子だってね!? ライン