第111回 おそ松くんと江戸の三つ子

「おそ松さん」のアニメが人気になっているという。1960年代に人気があった赤塚不二夫(あかつかふじお)のマンガ「おそ松くん」が大人になったバージョンなんだそうな。
「おそ松くん」といえば半ダースの六つ子が主人公のギャグマンガで、その名は「おそ松」「一松」「チョロ松」「カラ松」「トド松」「十四松」である。
六つ子は今でも珍しいが、江戸時代では、三つ子が生まれたら噂になってご褒美(ほうび)がもらえた。
元禄16年(1703)5月25日、西の久保(港区虎ノ門)天徳寺前に住む吉兵衛(38歳)と女房(23歳)のあいだで男子の三つ子(三助、伴助、惣助)が生まれる。幕府はさっそく、めでたいことだと鳥目(ちょうもく。銭のこと)50貫文(かんもん)、つまり5万文をプレゼントした。
時の将軍は五代目徳川綱吉(つなよし) 、あの「生類憐(しょうるいあわ)れみの令」で有名な将軍で、一方では学問好きと浪費家としても名が高く、三つ子誕生に大盤振る舞いしたわけでもある。お祝いの50貫文を、当時の銭と小判の為替レートで計算してみると、おおよそ小判12.5両ほど、現在だと170~180万円といったところであろう。
続いて宝永4年(1707)1月15日、弓町(中央区銀座)の長兵衛(43歳)と女房(43歳)に男子の三つ子が授かり、これは当時としては高齢出産だったようで、やはり幕府は鳥目50貫文をプレゼントした。そして享保13年(1728)にも三つ子が生まれる。
明和3年(1766)9月に幕府は、

一婦にて三子を産む、御ほうび被下候(くだされそうろう)…御ほうび鳥目五拾貫文…

と、三つ子が生まれると褒美に鳥目50貫文をつかわすと町触(まちぶ)れした。
そのあと安永5年(1776)には女子ばかりの三つ子が生まれる。そして寛政7年(1795)正月に本所緑町(墨田区緑町)の豆腐屋松五郎の妻(当時40歳)が三つ子を産む。三つ子は元気で褒美をもらうものの、産後の肥立ちがわるくなり妻は亡くなってしまう。
ちなみに、歌舞伎の「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」には「梅王丸」「松王丸」「桜丸」という三つ子が登場するが、これは、延享3年(1746)、大坂天満滝川町で嘉右衛門(かえもん)の後家(ごけ)おまつが三つ子を生んで、褒美をもらったことから取り入れられた趣向という。
マンガ「おそ松くん」では、六つ子より脇役たちが人気者になり、なかでも、おフランス帰りと自慢し、体をひねって片足立ちで奇声「シェー!」を発する「イヤミ」というキャラクターが受けた。フランス製のバックやフランス文化に憧れたりしていた当代風潮を逆手にとり、貧相で下品な行動をとるイヤミの行動が笑いを誘ったのである。
子どもたちがその物まねをして、やたら彼の口癖の「シェー!」を連発するので一種の社会現象にもなった。エレベーターのドアが開くと「シェー!」、学校で配られ試験問題を見て「シェー!」、返された答案用紙を見て「シェー!」、驚き、感激、愕然(がくぜん)、悲しみ喜びのすべてに「シェー!」という表現方法をとり、大人の顰蹙(ひんしゅく)を買うこともあった。
三つ子に褒美という江戸幕府の大盤振る舞いには、イヤミが「シェー!」するかもしれない。

生まれた子を産婆(さんば)が産湯(うぶゆ)につけるところ。姉妹が同時に婚礼し、姉は「小判」、妹は「小粒」を生み、それがまたどんどん子どもを生んで、鼠算(ねずみざん)式に増えて大金持ちになる話。山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)『春霞御鬢付』(文化3年〈1806〉刊行)より。

赤塚不二夫…1935~2008。漫画家。満州の生まれ。強烈な個性のキャラクターが登場するギャグマンガで圧倒的な人気を得る。「おそ松くん」は1965年小学館漫画大賞受賞。ほかに「天才バカボン」「もーれつあ太郎」「ひみつのアッコちゃん」など。

徳川綱吉…1646~1709。江戸幕府第五代将軍。延宝8年(1680)将軍となる。学問に心酔して湯島に聖堂を開き、朱子学を官学とした。「生類憐みの令」を発して「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれる。悪貨濫発などで庶民生活を苦しめたが、元禄文化の出現をうながした。

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