第114回 猫ばば

 

 「猫」がブームである。女性誌やさまざまなグッズにも取り上げられ、巷(ちまた)に「猫」があふれている。つい最近まで小型犬ブームだと思っていたら、世の中は知らぬ間に移り変わっていた。

 「猫」の諺(ことわざ)は、「猫に小判」「猫に鰹節(かつぶし)」「猫を被(かぶ)る」「鼠とらぬ猫」「猫の手も借りたい」などたくさんある。猫は、愛玩物としてかわいい反面、どうも役に立たない感もある。

 「猫ばば」といえば、悪いことをしても素知らぬ顔をすることを言い、たとえば拾い物をしても、それを返したり届け出たりせず、コッソリ自分の物にすることなどをいう。このところニュースをにぎわわせ、ついに辞職に追い込まれた政治家が頭に浮かぶ。

 この言葉の語源はそんなに古くはないようで、江戸の中期(18世紀半ば)の諸本には「猫(にやん)が糞(ばば)ふんだ」とある。「猫の糞」だけで、ものを隠すことの意味になったのは幕末近くのことである。暉峻康隆(てるおかやすたか)博士は、猫は糞(ふん)をしたあとに前足で砂をかけて糞を隠すことから、人に知られないように事を隠すことを言うとされていたが、これがいちばんもっともらしい説である。

 このほかに、「猫ばば」は「猫婆」と書くこともあり、徳川中期、本所(ほんじょ。現在・墨田区)に住んでいた猫好きの老婆が欲張りであったことから、とする説もある。しかし、江戸中期頃には本所に住む人もまだ少なかったようであるし、また、強欲老婆と「猫(にやん)が糞(ばば)ふんだ」とは、意味がかけ離れていてこの語源説の採用はどうかと思われる。

 「猫(にやん)が糞(ばば)ふんだ」が早い例だとしていくつか挙げられるところからすると、前足で砂をかけて糞を隠すという語源説も、あまりにもでき過ぎている説のようにも思われる。こうなると、江戸時代の猫の生態を知らなければ事の判断は難しいが、猫は糞を踏んでも平然としていることが、悪いことをしても平然としていられるということに見立てたととれなくもなかろう。

 ところで、猫というと鼠が名コンビの相手で、昔、アニメの「トム&ジュリー」が「仲良くケンカ」していたことが、すぐに想起されよう。この鼠もまた、よいイメージで使われることは少ない。

  猫に「猫ばば」があれば、鼠には「頭の黒い鼠」という言葉がある。人間を鼠になぞらえ、人間の誰かが盗みなどしたものだろうと犯人をほのめかすことだが、盗みなどはしないものの、主人の目をのがれてチョロまかすような者を江戸時代には「源四郎(げんしろう)」と呼んでいた。その「源四郎」を指差して「頭の黒い鼠さ」などといわれたとしたなら、犯人として図星(ずぼし)を差されたことになる。

 猫ばばの「猫」も頭の黒い鼠の「源四郎」も仲良く悪さをしているわけで、そういえば、あの政治家、鼠に似ていないこともない。

第115回図版

 

いかにも悪さをしそうな女猫「猫股(ねこまた)」(左手前)が、狐たちの悪巧みに参加している。十返舎一九(じっぺんしゃいっく)作『化皮太鼓伝(ばけのかわたいこでん)』(天保4年〈1833〉刊)より。絵は江戸の猫好きとして知られる歌川国芳(うたがわくによし)。

 
 
 
 
 

 
 

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