第119回 馬の骨

 昔のガンコ親父なら「どこの馬の骨かわからない奴に娘を嫁にやれない」などと怒ったものだろう。

 素性のわからない者を「馬の骨」といったが、もうひとつ、馬の骨の膏(あぶら)から採った粗悪なロウソクのこともいった。吉原などの遊廓では、客が寝静まった頃には、このロウソクを使ったり、魚類の粗悪な油を照明として使ったものである。図版にあるように、皆のいびきが聞こえる頃、行灯(あんどん)に油を注ぎにくるのを「若い者」といった。

 さて、吉原ではいくつかの遊びのタブーがあった。遊女をめぐって三角関係にならないように、親友が馴染(なじ)みにしている遊女を友人は指名しない。それがオチになる話をひとつ。

 どこの馬の骨かわからない人物「馬骨(ばこつ)」が登場し、主人公になる洒落本(しゃれぼん)に『繁千話(しげしげちわ)』(寛政2年〈1790〉刊)がある。

 吉原に空琴(そらごと。うそっぱちという意味をきかせている)という若い遊女がいた。手管(てくだ。商売女が客あつかいの巧妙なこと)にたけているという噂で、馬骨は空琴をギャフンと言わせてみせると仲間に大見得を切って、空琴を指名し登楼する。

 ところが、部屋で待てど暮らせど空琴は来ず、友人の医者の息子犬悦(けんえつ)がやってきて怪しげなオランダ語や中国語を使って馬骨を煙(けむ)にまき帰る。「犬悦」というのは酔払いが嘔吐することを言う(路上で嘔吐すると、それを犬が喜んで食べるから、ということに由来している)。

 手持ちぶさたで廻し屏風に書かれている漢詩をでたらめに読んで馬骨が暇をもてあましているところへ、ようやく空琴が来る。空琴の情人も同時に登楼していて、焼き餅を焼いてなかなか馬骨の部屋へ行かせなかったのである。

 「半可通(はんかつう)」で「聞いた風(ふう)」なタイプの馬骨はさっそく、世間や吉原で名の通っている人びとの名前を次々に挙げて知り合いだと空琴に自慢し、恰好(かっこ)いいところを見せようとする。と、空琴は突然、「魚街(ぎよけい)さん」をご存知かと聞く。馬骨は知らない人だったが、調子に乗って「大の親友さ」と答える。

 空琴は黙って、スーと部屋を出る。不思議な顔をする馬骨。入れ替わって空琴の姉女郎がやってきて、「魚街さんは空琴と馴染みの客だから」と一言言って立ち去る。シマッタ、「魚街などは知らない。あれは嘘だった」とも言われず臍(ほぞ)を噛(か)む馬骨、外ではカラスが啼(な)く。アホウ、アホウ、アホウ。

 

第119回図版

 

深夜、遊女の部屋の行灯に油を注いでいる若い者。屏風の奥では遊女が眠り、猫が肴をくわえているのが見える。『繁千話』(寛政2年〈1790〉刊)より。

『繁千話』…山東京伝(さんとうきょうでん。1761~1816)作画の洒落本。「千話」は「痴話」にかけたもの。書名は、都賀庭鐘(つがていしょう)の読本(よみほん)『繁野話(しげしげやわ)』(明和3年〈1766〉刊)のもじり。

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