第125回 とどのつまり

 落語の「木乃伊(みいら)取り」を聴いたことがあるだろうか。

 若旦那が吉原に流連(りゅうれん。居続け)し、番頭、鳶の頭(かしら)が迎えに行っても若旦那は帰らない。そこで思いあまった両親は飯炊きの田舎者の清蔵を迎えにやる。すると、これも駆けつけ三杯などとおだてられ酔っ払い、若旦那が「清蔵、帰るぞ」と言うと、「あんただけ帰(けえ)れ、俺はもう二、三日ここにいるだ」がサゲになる。

 この落語の原話が山東京伝の洒落本『京伝予誌』(寛政2年〈1790〉刊)にある。

 吉原に流連する息子に留守の家では上を下への大騒ぎとなり、「とゞのつまり二番番頭が迎いに来て」と、しかつべらしい顔をして番頭が説教すると、そんなに真面目を言わずと一杯いこうとなり、そのまま番頭は碇(いかり)を下ろし、木乃伊取りがミイラになる。

 おなじ京伝の黄表紙『世上洒落見絵図(よのなかしゃれけんのえず)』(寛政3年刊)にも、京伝が洒落た黄表紙を書くということなので、天帝(心学でいうお天道様)が京伝の家にやって来て言う、「洒落のとゞのつまりを見せんため来た」と。そして洒落てばかりいると曝(しゃ)れ朽ちてしまうと説教する。ここにも「とどのつまり」が出てくる。

 「とどのつまり」とは、「行き着く先、結局」という意味である。『俚言集覧』では、「とど」は魚の名に由来するとの説もあると断りも述べながら、「とゞ ○止の義にて終りを云(いう)」とし、「とゞのつまり こみ入りし事の終りに至るをいふ」と増補している。

 この「とど」は、出世魚(成長するに従って呼び名の変わる魚)の鯔(とど)のことで、イナ→ボラ→トドと変わり、最後は「とど」となって成長が終わるところから、「終わる、詰まる」という意味であるとの俗説がある。

 また京伝の黄表紙『孔子縞于時藍染(こうしじまときにあいぞめ)』(寛政元年〈1789〉刊)では、当時、関東郡代として江戸庶民のあいだで人気が高かった伊奈半左衛門(いなはんざえもん)を「ぼら長左衛門」として登場させているので、イナ→ボラと、鯔(いな)が出世魚であることを京伝は知っていての諧謔(かいぎゃく)だったと考えられる。

 しかし、「とど」は出世魚の最後であるとしても、「とどのつまり」という言葉は歌舞伎用語からいっぱんに広まった可能姓がある。歌舞伎の楽屋通だった式亭三馬の歌舞伎の図説解説書『戯場訓蒙図彙(げじょうきんもうずい)』(図版参照)に、正本通言(しょうほんつうげん。歌舞伎の脚本で使われる言葉の解説)として、「とゞ 立廻りとゞまりてという事の略」とある。つまり、チャンバラの立ち回りが止む、終わる場面を指して「とど」と言い、物事の進行が終わり行き詰まることをいうのである、というわけである。

 「とどのつまり」という言葉を多用している京伝は、明らかに歌舞伎の楽屋用語を念頭に入れて「とどのつまり」の語を「とどまる」の意味として使っていると考えてよい。京伝は歌舞伎作者の桜田治助と昵懇(じっこん)の仲であり、「とどのつまり」の「とど」は魚ではなく、歌舞伎用語「演技の終り、終了」から借用したものだったと考えられる。

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下段の見出し「正本通言」の後ろから3番目に「とゞ」とあり、その下に「立廻りとゞまりてという事の略」とある。歌舞伎の楽屋内の情報を絵入りで説明した『戯場訓蒙図彙』(享和3年〈1803〉刊)より。

山東京伝…1761~1816。江戸後期の戯作者(げさくしゃ)・浮世絵師。洒落本は、遊里の風俗や男女の遊びを写実的に描いたも。『京伝予誌』は吉原の遊女が起こした著名な情死事件などに取材した作品で、四書の注解書『経典余師』から書名をもじる。
黄表紙…安永4年(1775)~文化3年(1806)まで江戸で刊行された絵入り小説群のことをいう。大人のマンガ・コミックといった内容で、江戸土産としても珍重された。『世上洒落見絵図』はお天道様が京伝に対して、あまり洒落たこと(いいかげんな滑稽なこと)ばかりするなと諭すもので、『孔子縞于時藍染』は不景気な世の中の現実を、金が余る世の中と逆さに見立てた作品。
『俚言集覧』…江戸後期の国語辞典。26巻。太田全斎編。寛政9年(1797)以降に成立するが、その後、幕末まで補遺される。俗語・ことわざなど多岐にわたって集成したもの。
式亭三馬…1776~1822。江戸後期の戯作者。黄表紙や滑稽本作者として活躍し、とくに『浮世風呂』(1809~13)は江戸の銭湯を舞台に市井生活を活写した滑稽本で江戸語の宝庫でもある。
 

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