第29回 フグは食いたし命は惜しし

 鍋物が恋しい季節となった。
 今はどこでも全国の名物鍋が食べられ、鍋物の季節感も失われたように感じる。しかし、寒い日の鍋物の代表は、やっぱりフグ鍋という人も多かろう。
 江戸時代にはフグ鍋は、「鰒汁(ふくとじる)」と呼ばれていたようで、松尾芭蕉も井原西鶴も「鰒汁」の文字を用いて、そう呼んでいる。フグ汁はまた、「鉄砲汁」とも呼ばれた。当たると死ぬからである。
 かつてフグ鍋など、食中毒を起こすものを食べるときには、「気象庁、気象庁」と唱えると当たらないという笑い話があったが、近頃では気象情報のコンピュータのデータ解析が進み、天気予報が「当たる」ようになったから、この呪(まじな)いはもう使えない。
 フグを食べて当たった噺(はなし)といえば、落語の「らくだ」を思い出す人もいるだろう。「らくだ」と渾名(あだな)されている、大酒飲みで暴れん坊、長屋の嫌われ者の大男が、フグの毒に当たって死んでしまい、その兄貴分の男が長屋へ訪ねて来るところから噺は始まる。
 昭和30年代に亡くなった八代目の三笑亭可楽(さんしょうていからく)は、フグは当たる憂いがあるので、お屋敷(武家屋敷)などでは「フグはお家のきつい御法度(ごはっと)」、というマクラをこの噺の前にふっていたが、近頃の落語家はこのマクラでは演(や)らないようである。「不義はお家の御法度」(武家では男女の密通は厳禁)の駄洒落だが、これがピンとくる聴衆も少なくなり、クスグリにもならなくなったのであろう。
 ほかに「フグ汁」という落語もある。もとネタは、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『臍(へそ)くり金』の中の小噺(こばなし)「鰒汁」で、旦那が出入りの者にフグの毒見をさせようとするが、逆に自分が毒見させられてしまうという噺である。
 江戸の街では、冬も盛りになると「フグ売り」が売り歩き、江戸の風物詩となっていた。しかし、フグ料理に煤(すす)が入ると当たりやすいという俗信があったため、煤掃きの日(12月13日)だけは、江戸の街からフグ売りの姿が消えたようである。図版は、フグ売りから買った一尾をぶら下げて帰る、寒い雪の日の光景である。
 そのフグの狂歌を一首。「捨果(すてはて)て身はなきものと悟らねど雪の降る日は河豚(ふぐ)をこそ思へ」は、戯作者(げさくしゃ)の式亭三馬(しきていさんば)が詠んだ狂歌である(『人心覗からくり』)。西行の和歌と伝えられる「すてはてて身はなきものと思へども雪のふる日は寒くこそあれ」をもじった狂歌である。
 酒飲みで美食家の江戸っ子の三馬は、酒太りからくる肥満に悩んでいたようだが、寒い雪の日とくれば、「フグは食いたし命は惜しし」と言いながら、フグ鍋に舌鼓を打って一杯というところだったろう。現代のように調理師試験がなかった江戸時代では、フグの調理は素人料理だったようで、フグ料理屋の看板を見ることはほとんどない。

雪の日に蛇目傘(じゃのめがさ)でフグを手にする男は、戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)。「雪の日や鰒に価(あたへ)の銀世界」と風流な句が添えられたこの絵は、京伝の黄表紙(きびょうし)『龍宮羶鉢木(たつのみやこなまぐさはちのき)』(寛政5年〈1793〉刊)の巻末にある。竜宮を舞台とした魚たちの騒動は、騒動の張本人のフグが征伐されて終わり、この場面につづく。

十返舎一九…1765~1831。江戸後期の戯作者。『東海道中膝栗毛』など、ベストセラーを次々出版した。落語のルーツともいえる噺本(はなしぼん)『臍くり金』は、享和2年(1802)刊。

式亭三馬…1776~1822。江戸後期の戯作者・狂歌師。会話体を用いた滑稽本(こっけいぼん)『浮世風呂』『浮世床』で知られ、『人心覗からくり』は文化11年(1814)刊。

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