第30回 試金石

 競馬の1年のフィナーレといえば有馬記念(今年は12月23日)だ。今年は、人気馬のオルフェーヴルとジェンティルドンナの出走回避で、競馬ファンはガッカリしているかもしれない。
 スポーツ新聞などの競馬の予想記事に、「このレースの結果が有馬記念の出走に向けての試金石(しきんせき)」と書かれるのを、よく見かける。どうして競走馬の力量が「石」にたとえられるのか、不思議に思う人がいるかも知れない。
 「試金石」とは、紀州熊野の那智(なち)で産出される石英質の粘板岩(ねんばんがん)のことである。碁石(ごいし)の黒石の最上質なものと思っていただければよい。この石に金属貨幣をこすりつけ、その摩擦面の条痕(じょうこん)・色沢(しきたく)を、貨幣の成分が正確にわかっている手本のそれと見比べ、良貨か悪貨か判定した。
 金貨(小判)の場合は、硝酸(しょうさん)を一滴たらし、変色する度合いを見ると金の品位(含有量)がわかり、いつ発行された小判か、偽の小判かを判断できた。この方法は、最近まで貴金属商や質屋で鑑定方法としておこなわれているが、江戸時代の両替商のベテランは、そこまでしなくとも、試金石の摩擦面を見ただけでだいたいの判断はできた。
 金を試す石だから「試金石」、文字通り試金石は「石」だったのだが、そこから意味が転じて、人物などの力量・価値を見きわめるために試みる判定材料を指す言葉に変遷したというわけなのである。
 ところで、カルチャーセンターなどで「小判は偽金(にせがね)が多かったそうですが」という質問をされることがよくあるが、「それは時代劇の見すぎでしょう」と私は答えることにしている。江戸時代、小判の改鋳は、慶長小判(けいちょうこばん)から数えると、計9回おこなわれている。ということは、幕末にはこれらの9種類の小判が通用していた(通用期間は限定されていたが、退蔵されていた小判は絶えず流通していた)ことになる。そして小判の品位は、正徳4年(1714)の改鋳を除き下がる一方だったから、幕末の両替商たちは、「試金石」での正しい判断を迫られていた。
 幕末の蘭学者(らんがくしゃ)で西洋化学の研究者、宇田川榕庵(うだがわようあん)の著書『舎密開宗(せいみかいそう)』には「硝酸」の製法も書かれており、そのころすでに純度の高い硝酸が製造できたことがわかる。両替商たちは硝酸を手に入れ、摩耗し変形して原型をとどめない小判の判定も正確にできるようになっていたのである。
 

宇田川榕庵『舎密開宗』には、化学の実験方法が挿絵で紹介されている。右ページは、ガラス容器にガス状の物質を水中で採取する方法。左ページは、プラス・マイナスの電極により、分解物質を作ったり熱量を加えたりする装置。

宇田川榕庵…1798~1846。江戸後期の蘭医・蘭学者。西洋植物学・化学の日本への紹介者として知られる。

『舎密開宗』…日本最初の体系的化学入門書。イギリスのウイリアム・ヘンリーの著書のドイツ語訳のオランダ語訳が原著。「舎蜜」は、「chemie(科学)」の音訳であり、「開宗」は啓発する意。天保8年(1837)から10年かけて出版。

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