第40回 遅まき唐辛子

 ガーデニングの季節である。
緑のカーテンが夏のエコ対策として推奨され、ベランダや庭でゴーヤやヘチマなどを育てる方も多いだろう。夏にこれらの葉を繁々(しげしげ)と繁らせるためには、今頃、種をまかねばならないが、ついつい忘れてしまうことがある。梅雨が過ぎてからあわてて苗を買ってきたのでは、夏のエコ・カーテンにならずに終わってしまう。
 時機に遅れてしまうことを、「遅まき唐辛子(とうがらし)」と言う。「遅まき」は「遅く蒔(ま)く」こと。
 唐辛子の栽培は種をまく時機が問題で、少し遅れると、熱帯地方が原産地だけに日照時間が足りないせいか、辛味がとぼしくなり、唐辛子の実がつかなくなることもある。そこから、「遅まき唐辛子」は、気が抜けていることや、今ひとつ反応の遅い人間、間抜けな者をさす言葉にもなった。
 謎かけでは、「遅まき唐辛子」と掛けて「花は咲けども実がつかず」というわけである。
 唐辛子は、16世紀半ばにポルトガル人が日本に伝えたとする説もあるが、太閤秀吉(豊臣秀吉)が朝鮮出兵した際、印刷機などと一緒に唐辛子の種を日本に持ち帰ったことから栽培がはじまったという説が有力である。関西では「高麗胡椒(こうらいこしょう)」と呼ばれていたようである(高麗は昔の朝鮮半島の国名)。関東以北では「南蛮(なんばん)」とも呼ばれた。
 近ごろでは激辛ラーメンなどが流行(はや)っていて、真っ赤なスープのラーメンを汗をかきながら食べるシーンがテレビなどで紹介されているが、その激辛のもとは唐辛子である。
 江戸時代には、内藤新宿(現在の新宿区新宿御苑)で栽培される唐辛子が佳品(かひん)で、「内藤唐辛子」「南蛮胡椒」と呼ばれ、江戸っ子の珍味とされたようである。
 香辛料としては辛味の代表で、これに胡椒・陳皮(ちんぴ。ミカンの皮の乾かしたもの)・芥子(けし)・菜種(なたね)・麻の実・山椒(さんしょう)などを砕いて混ぜ合わせた「七色唐辛子」は江戸時代からよく使われている。
「七色唐辛子売り」は、赤い大きな唐辛子の形をした袋をかついで(図版参照)、

とんとん唐辛子、ひりりと辛いが山椒の粉(こ)、すはすは辛いが胡椒の粉、芥子の粉、胡麻(ごま)の粉、陳皮の粉、とんとん唐辛子

という売り声で街中を売り歩いて、人気が高かった。
 ところで、江戸時代の深川遊廓では「唐辛子を食わせる」という隠語(仲間内の言葉)があった。人をだますことを言ったのだが、そのこころは、唐辛子だけに真っ赤なウソという意味か、辛(から)い目にあわせるということなのか、そのへんは不明である。

川にはまった酔っ払いを助ける唐辛子売り。「辛(から)き命」を唐辛子売りが救うというジョーク。山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)『御誂染長寿小紋(おんあつらえぞめちょうじゅこもん)』(享和2年〈1802〉刊)より。

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