第44回 富士山噴火と江戸っ子の経済

 富士山が世界遺産に登録された。7月1日には山開きが行われ、登山者は増加の一方だという。富士山関連の本やグッズなども次々に出されて大人気である。
 古来より日本人が崇(あが)めてきた富士山は、名所を描いた北斎や広重の浮世絵は言うまでもなく、江戸時代のお江戸の風景になくてはならないものだった。図版のような、江戸を俯瞰(ふかん)する絵にも背景に富士山が描かれている。
 さて、富士山が江戸時代に噴火したのをご存知だろうか。宝永4年(1707)11月20日(現代の太陽暦で12月13日)、富士山は噴火した。現在の富士山を静岡側から見ると右中腹に「宝永山(ほうえいざん)」があるが、これは当時の噴火によりできた。
 江戸から見た富士山や灰が江戸に降った様子が『武江年表(ぶこうねんぴょう)』にこう記されている。  

 富士山の根がた須走口(すばしりぐち)が焼ける。天暗く雷声地震はおびただしく起き、関東一円に白灰が降り、雪の如く地面を埋める。江戸から見て富士山の方角にあたる西南では、しきりに稲光(いなびかり)が発生し、白昼なのに暗夜のようになって行灯(あんどん)や提灯(ちょうちん)を灯(とも)すことになる。

 この富士山の噴火の半年前に、東海道から紀伊半島にかけて(南海トラフ)の最大級の地震があった(マグニチュード8・6〈『理科年表』〉)。その後すぐ江戸幕府は、地震による諸道・堤防破損の修理を速やかにせよと幕閣に命じ、時の勘定奉行(かんじょうぶぎょう)の荻原重秀(おぎわらしげひで)には財政出動を命じている。
 しかし、これによって幕府の金庫蔵は空っぽになってしまった。
 荻原重秀は、富士山噴火の12年前の元禄8年(1695)以降、小判の金貨と銀貨の改鋳(かいちゅう)を四度おこなう。金貨は金の含有量を約70%以上も減らし、銀貨にいたっては銀20%の銀貨にして、それまで通用していた慶長小判と銀貨を回収して鋳造し直した。
 この貨幣改鋳で500万両の出目(でめ。貨幣改悪により、貨幣を多く発行できたことによって生みだされる儲けのこと)があったと、後に重秀を失脚させた新井白石(あらいはくせき)は記している(『折たく柴の記』)。500万両といえば、現在の価値に換算すると7兆円規模になり、幕府の領地から取れる年貢米(ねんぐまい)を年間予算として計算すると、およそ4年分の国家予算に相当する。
 ところが、元禄8年以降の貨幣改鋳後、次々に天災が襲いかかる。翌元禄9年は全国的な冷害による米の凶作にはじまり、同年6月江戸大地震、元禄10年10月江戸大地震(震源地鎌倉)、元禄11年9月江戸大火、元禄16年11月江戸大地震(M8・9~8・2)、江戸大火、宝永元年(1704)2月江戸大地震、夏に江戸大洪水、宝永3年江戸地震、そして、先に述べた宝永4年の南海トラフの最大級の地震に襲われる。荻原重秀は、天災で幕府の金庫蔵が空っぽになるたびに、出目を求めて貨幣を改鋳した。
 荻原重秀は、貨幣は瓦でも紙でも国家が規定すれば貨幣になる、という考えの持ち主だったから、元禄8年以降の四度にわたる改鋳は、貨幣改悪などとは毛頭(もうとう)考えていなかった。イギリスの経済学者ケインズによると、現代の文明社会は「表券主義的貨幣」(紙幣)であるというが、それを300年も前に重秀が提唱していた。今でいえば、ノーベル経済学賞を受賞してもおかしくない。
 荻原重秀が貨幣改悪などしなければ天災には見舞われなかったろうと新井白石は記しているが、これは政敵を貶(おとし)めるための言いがかりで、元禄8年以降の貨幣改鋳による出目は、その後の天災の復興予算に振り向けられていた。これがなかったら江戸幕府成立後、約百年で幕府は瓦解(がかい)していたかもしれない。儒学者の新井白石は経済をわかっていない。 

東海道の起点・日本橋界隈のにぎわいを描いた図。遠くに富士山がそびえている。手前は日本橋河岸の魚市場。川には荷物を積んだ船が行き交い、河岸では荷揚がされている。日本橋には大名行列が渡り、向こうに江戸城も見える。(『東海道名所図会』寛政9年〈1797〉刊) 

『武江年表』…斎藤幸成(月岑)編。江戸とその近郊に起こった事柄を年表風にまとめたもの。全12巻。嘉永元年(1848)に正編8巻、明治11年(1878)に続編4巻が成立。

荻原重秀…?~1713。江戸中期の幕府役人。幕府財政の窮乏を貨幣改鋳と増発によってしのごうと改鋳を繰り返したが、出費が重なり帳消しとなる。新井白石により糾弾を受けて失脚。

新井白石…1657~1725。江戸中期の儒者、政治家。徳川家宣、家継に仕え、幕政を補佐した。『折たく柴の記』は享保元年(1716)に書かれた自叙伝。

ケインズ…1883~1946。イギリスの経済学者。名著『雇用・利子および貨幣の一般理論』によって、革新的な経済学理論をうちたてた。

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