第47回 秋を告げる松虫・鈴虫の鳴き声は?

 残暑に汗を流す毎日である。昼間はまだまだ蝉(せみ)がにぎやかである。夜になると虫の音がちらほら聞こえるが、今年の猛暑はなかなか秋の訪れを感じさせてくれない。
 童謡「虫のこえ」以来、「あれ松虫が鳴いているチンチロチンチロチンチロリン あれ鈴虫も鳴き出してリンリンリンリンリインリン」と、「チンチロリン」と鳴くのは松虫と決まったようだが、江戸人たちの耳にも「チンチロリン」は松虫、鈴虫は「リンリンリン」と聞こえたようなのである。もっとも、庭先で「チンチロリン」と鳴くのは鈴虫だと唱える御仁もいて、百家争鳴の感がないわけでもないが、江戸の博覧強記の人、喜多村信節(きたむらのぶよ)の随筆『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』では、「チンチロリン」は松虫説に軍配を挙げている。
 『源氏物語』では、女三(おんなさん)の宮(みや)が住む家の庭を野原の風情にしようと光源氏が鈴虫を放つ描写があるが(「鈴虫」の巻)、残念ながら虫たちの鳴き声までは伝えていない。平安の貴族たちの耳には、秋の虫たちの鳴き声が、どのように響き聞こえたのであろうか。
 江戸の風流人たちは秋になると、道灌山(どうかんやま。荒川区西日暮里)へと出かけ、秋の夜長を楽しんでいた。図版は、その様子を描いた『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』の道灌山虫聴きの図である。本文には次のように書かれている。

殊(こと)に秋の頃は松虫・鈴虫、露にふりいでゝ清音(せいおん)をあらはす。依(よ)つて雅客幽人(がかくゆうじん)こゝに来り、風に詠じ月に歌うてその声を愛せり。

 道灌山からは江戸が一望でき、筑波山(つくばさん)まで望めたという。月明かりに照らされながら、あるいは漆黒(しっこく)の闇がひろがる中で、江戸の街の夜の明かりがちらほらと点在し浮き出す光景を見ながら、そちこちから高らかに響く虫の音に耳を傾けるのは、風流人の雅趣を楽しむ極みであったろう。佐原鞠塢(さはらきくう)が文人たちの協力を得て造った向島百花園(むこうじまひゃっかえん)でも、虫聴きは行われていた。
 ところで、チンチロリンは秋でなくても何時(いつ)も聴いているという江戸っ子もいた。サイコロバクチで、壺笊(つぼざる)の代わりに茶碗を使い、その茶碗にサイコロを入れると鳴る音が松虫のような音色であることから、俗にサイコロバクチを「チンチロリン」とも呼んでいた。
 落語「狸賽(たぬさい)」は、子狸(こだぬき)を助けた男が恩返しに来た子狸にサイコロに化けてもらい、チンチロリンのバクチでひと儲(もう)けしようと思うが、「天神」(五のこと)という符丁(ふちょう)を子狸が知らず失敗する噺(はなし)である。同じチンチロリンで夜を徹した楽しみでも、片肌脱ぎチンチロリンと「勝負、勝負」の掛け声ばかり、これだと無風流だと叱られそうである。

道灌山に虫聴きに訪れた人々。右には、ゴザを敷いて虫聴きに興じようとする男たち。夕日を眺めたり酒をくみ交わしたりしている。左はその連れか、虫かごを持った子どもを連れた女性たち。(『江戸名所図会』より)

喜多村信節…1783?~1856。江戸後期の国学者・考証学者。『嬉遊笑覧』は、文政13年(1830)成立の随筆集。江戸の風俗習慣、歌舞音曲などを中心に集めたもの。

『江戸名所図会』…江戸の絵入り地誌。7巻20冊。斎藤幸雄・幸孝・幸成(月岑〈げっしん〉)の親子三代で完成。絵は、長谷川雪旦・雪堤。寛政から天保にいたる江戸やその近郊の名所が収録されている。

向島百花園…今も東京都墨田区東向島にある庭園。文化元年(1804)、骨董商・佐原鞠塢が開いた3千坪にもおよぶ花園。命名は酒井抱一(ほういつ)。徳川家斉(いえなり)や家慶(いえよし)も来訪している。

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