第50回 にべもない

 秋刀魚(さんま)の美味しい季節になった。
 猛暑の影響で不漁が心配されたが、やっと豊漁になったようである。秋刀魚といえば落語『目黒のさんま』を思い出す人もあるだろうが、季節の回遊魚である秋刀魚の漁法が普及したのは江戸時代後期以降のことであり、江戸の庶民には鰯(いわし)や鯖(さば)のほうが身近であった。
 一尾ずつ数えるのが面倒なので、大雑把(おおざっぱ)に数えることを「鯖をよむ」というようになったと、こんな語源説が生まれるほど鯖は江戸時代も多く獲れた。
 ところで、「にべもない」という言葉がある。親しかった人などに無愛想で相手にされなかったりすると、「にべもない」態度だったと今日でも言うが、この「にべ」というのは、「ニベ」という魚のことである。
 漢字では「鮸」とも「鮸膠・鰾膠」とも書く。この漢字を見て察しの早い人は接着剤の「膠(にかわ)」と縁があると思うであろう。その通りで、この魚の浮き袋が、その昔は接着剤の「にかわ」として使われていたのである。
 鮸は成魚になると全長は約80㎝に達する大形魚である。大きな浮き袋をもち、その付随筋(ふずいきん)でグーグーと音をたてることから鳴く魚としても知られる。東北地方の沿岸から東シナ海にかけて広く分布し、冬場の魚として刺身や塩焼きとして食されカマボコの原料ともなる。
 そして、食用だけでなく、この魚の浮き袋を加工した「ニベ」は、ベタベタと粘着力にすぐれていて、化学接着剤があらわれるまで薬用や工業用にも使われたのである。
 江戸時代初頭の『日葡(にっぽ)辞書』には(nibe)「弓の竹を接着するのに使う一種の強力な糊(のり)」と記されている。武器でもあった弓の柄(つか)は竹が縦横三層に張りつけられて頑丈(がんじょう)に作られており、竹を接着させるのに「ニベ」を使っていたのである。
 『平家物語』に語られる時代から、合戦に使われる弓が「ニベ」を使用していたものかどうか、確かなことはわからないが、すくなくとも戦国時代は「ニベ」で接着された弓が使われていた。
 「ニベ」は接着剤に使われるほどだから、ベタベタしてひっつくのは当然で、取りつくしまがある、接点としてつながりあるというニュアンスから、「ニベ」は愛敬とか愛想といった意味の言葉になった。
 これが逆転し、「ニベ」がないとくっつかないから、さらりとして密着度がないというわけで、どこか親密性がなく冷淡だとか、愛想がなく思いやりがないということを、「にべもない」と言うようになったわけである。
 どちらかというと「にべもない」は否定的な感じで使われている言葉だが、さて、現代の若い女性たちは「ニベ」がありすぎてベタベタした男性より、さらりとした気っぷの男性を求めているような気もする。言葉は生き物、近い将来には、さらりと応対する男性を「にべもない」男性と形容し、そんな人が好みですと、肯定的に表現されるかもしれない。

江戸後期の博物家・毛利梅園(もうりばいえん。1798~1851)が描いたニベ。梅園は幕臣で書院番をつとめ、鳥、魚、菌類などの正確な写生図譜を残した。(『梅園魚品図正』〈天保6年序〉国立国会図書館蔵)

『日葡辞書』…慶長8年(1603)、イエズス会宣教師が編纂刊行した日本語の辞書。約3万2800語を収録。ポルトガル語のアルファベットで記されているため、当時の発音がわかる大変貴重な資料。

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