第51回「七五三」は縁起がいい

 「七五三(しちごさん)」は年々派手になっているような気がする。「七五三」は、男児は数えで3歳と5歳、女児は数えで3歳と7歳の11月15日に行う祝儀で、正装して氏神さまなどにお参りする。最近では、11月になると着飾った親子連れで神社が賑わっているのを目にする。
 少子化のこの時代、子どもにお金をかけるのがトレンドなのであろうが、お祝いする子どもの孫親(おじいちゃん、おばあちゃん)が晴れ着を買ってくれるから、親としても張り切ってしまうようだ。
 江戸時代、旧暦の11月15日(今年の太陽暦では12月17日)には、3歳の「髪置(かみおき)」、5歳の「袴着(はかまぎ)」、7歳の「帯解(おびとき)」を祝う行事が行われた。
 「髪置」とは、幼児が髪を結うために髪を伸ばし始める祝い。「袴着」は、男児が初めて袴をはく祝い。「帯解」は、女児が着物に付いている付紐(つけひも)を取り、帯を使い始める祝いである。この日、町人の家庭でも、子どもに晴れ着を着せて、産土(うぶすな)の神社に参詣した。親戚に挨拶回りをし、自宅に客を招いて祝宴を開くこともあった。
 図版は、江戸時代後期の天明5年(1785)の絵本『絵本物見岡(ものみがおか)』より、宮参りの賑わいが描かれた場面である。子どもだけでなく親たちも晴れ着の美しさを競い合っている。
 江戸時代にこのように行われていた行事が、明治になって「七五三」という呼び名で定着していったようだ。
 どうして「七五三」という年齢の祝儀になったのか、理由は今ひとつ判然としないが、中国では古来、奇数は陽数として尊ぶ風習があり、それに影響されて子どものつつがない成長を祈って七・五・三の年齢になったと考えられる。七・五・三を足すと15になり、奇数のはじめの数である1を重ねると11、そこから11月15日の年中行事になったという説は俗説のようだけれど、案外そんなところに由来しているのかも知れない。
 ところで、「七五三」のように、奇数を陽数として「縁起」のよい数とする考え方は、江戸時代にはすっかり定着していた。歌舞伎や小説の題名は、縁起をかついでヒット作となることを願って、奇数の文字数になるように作られていた。
 例えば、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』、浄瑠璃(じょうるり)『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』、小説『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』なども、題名は5文字、7文字の奇数である。
 ところが、近代の明治以降の小説の題名となると、『当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)』『舞姫』『坊ちゃん』など、奇数にこだわらなくなった。今年もノーベル文学賞とは縁がなかった村上春樹もこだわっていない。 

江戸時代の宮参りの様子。晴れ着を着た一行が神社に入ってゆく。左のほうに頭に揚帽子(あげぼうし。武家の女性が外出する時に用いた被り物)を被って正装している女性と子どもが見える。(『絵本物見岡』天明5年〈1785〉刊)

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