第66回 「先払い」と「着払い」

 夏のボーナスを目当てに、セールやお中元商戦が繰り広げられている。このWeb「日本語」を見ている方はインターネットをやっておられるだろうが、ネット通信販売でお中元を贈るというのが当たり前の時代が来るかもしれない。
 ネット通販だと、商品代と送料を合わせた代金を発送前に支払い、代金到着を待って商品を発送するシステム、料金「先払い」制度を利用するか、商品を先に発送してもらい、商品が到着すると代金を支払うシステム、「着払い」制度を利用することになるだろう。
 テレビコマーシャルでも通販という名で「先払い」と「着払い」を顧客に呼びかけ、振込みで支払う方法が主流になっているから、詳しい数字はわからないものの、郵便為替や銀行振込みにおける手数料もかなりの総額になっているのではないだろうか。
 明治時代、全国津々浦々まで同一料金で手紙が届く制度が前島密(ひそか)によって導入され、切手を貼りポストへ投函するだけで届けられるようになって便利になったが、しかし、切手を貼ることにより、手紙を受け取る人が郵便料金を支払う、「着払い」は消滅してしまった。
 江戸時代、手紙を出すのは、かなり手間とお金のかかることだった。わざわざ飛脚屋(ひきゃくや)まで足を運んで頼まなければならなかった。送り先が遠ければ、飛脚が走って届けるだけに日数もかかり料金は高くなるなど、料金は距離によってまちまちだった。でも、当時としては私信を届けてもらう唯一の手段だったのだから、飛脚に頼らざるを得なかったわけである。
 町飛脚(まちびきゃく)と呼ばれる一般の人びとが利用する飛脚制度は、幕府の公用飛脚や大名飛脚の制度に遅れて、寛文4年(1664)8月に大坂4軒・京都3軒・江戸7軒が三度飛脚(月に3度の定期便)の名目で仲間の組織化がなされ、これによって民間の飛脚屋業務が軌道に乗る。
 それまでの江戸では、日本橋の橋の袂(たもと)に届け先を書いた大きな板が並べられ、わざわざ日本橋へ人びとはやって来て、届け先へ手紙を置いて郵送料を支払ったとされる。
 図版は山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)『福徳果報兵衛(ふくとくかほうひょうえがでん)』(寛政5年〈1792〉刊)の最後の1コマで、老婆が飛脚屋に西方浄土の阿弥陀様へ手紙を届けてもらいたいと頼む場面である。
 老婆は、まだ当分は死ぬつもりはないので、十万億土のあの世から阿弥陀様がお迎えに来るのは遠慮してもらいたいという手紙を出したいが、十万億土という遠い世界なので状賃(手紙料金)も高いことだろうから、届け先のあちらの阿弥陀様の「先払い」にしてもらえないだろうかと、虫のいい頼みをしているのである。
 「先払い」は送られる前に代金を支払うシステムを現在では言うが、江戸時代の「先払い」というのは、届けた先方(せんぽう)の人が送料を支払う、今の宅配便などで荷物を受け取った人が支払う「着払い」の意味で使われていたのである。言葉は時代で変遷して、むずかしい。
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煙管をくわえて向こうに座っているのが、飛脚屋をはじめて大金持ちになった福徳果報兵衛。左の老婆が、あの世に手紙を「先払い」で出したいと頼みに来ているところ。山東京伝作画『福徳果報兵衛』(寛政5年〈1792〉刊)より。

前島密…1835~1919。明治時代の政治家。越後国(新潟県)高田藩士の家に生まれ、幕臣前島家の養子となる。維新後、明治政府の駅逓頭(えきていがしら)として近代郵便制度を創設。郵便切手、全国均一料金を採用した。下野ののちは、実業界で活躍した。
山東京伝…1761~1816。江戸後期の戯作者・浮世絵師。黄表紙・洒落本(しゃれぼん)の第一人者。寛政の改革による筆禍後は、読本(よみほん)と考証随筆に力をそそいだ。

第66回 「先払い」と「着払い」
そのことば江戸っ子だってね!? ライン