第81回 江戸の流行語大賞

 昨年の流行語大賞は、「ダメよ~ダメダメ」だったとか。
 江戸の流行語大賞といえば、さしずめ「日本(ニッポン)だ」だろう。これは、安永・天明頃(1772~89)に流行(はや)った言葉である。田沼意次(たぬまおきつぐ)が推進した殖産政策によって、世は挙げて消費文化に明け暮れるようになっていく頃である。現代で言えば、「日本だ」は「ステキだ」とか「素晴らしい」といった意味で、通人(つうじん)たちが流行(はや)らせ、江戸中に広がった。
 吉原の幇間(ほうかん)もしていた岸田杜芳(きしだとほう)の作になる天明3年(1783)刊行の黄表紙(きびょうし) 『日本多右衛門(にっぽんだえもん)』では、この流行語がすっかり口癖になってしまった放蕩(ほうとう)息子を登場させている。仲間と吉原へ遊びに行こうという話し合いが決まると、「それは日本だ」、猪牙舟(ちょきぶね)に乗って急ぐときに「こいつは日本だ」、やがて吉原遊びで金に詰まり自宅へ泥棒に入るときまで「首尾よく行けば日本だ」と言っている。
 ところで、流行語大賞の「ダメ」という言葉は、もともと日本の囲碁(いご)のルール用語で、白石・黒石双方の境界にあって、どちらの「地(じ)」(陣地)にもならない空白の目のことを言う。
 幕末に礎稿が成立した『俚言集覧(りげんしゅうらん)』では、囲碁の用語を語源として物事の無益なことを「だめ」と言うようになったとしている。徒目(むだめ)、つまり、竿秤(さおばかり)で秤の均衡をとるだけで実際に計るときには使わない最初の目盛りの略語かともしている。
 こんなことから江戸時代には、「無益なこと」「ムダなこと」の意味として使われていた。否定の命令語になったのは明治になってからのことで、文明開化以来、変化して新しい意味が加わった代表的な語でもあろう。
 田沼時代の幕開けとともに盛んになった川柳に、次のような句がある。

  検校(けんぎょう)の内儀はだめな美しさ
 (『誹風柳多留』二編。明和4年〈1767〉刊)

 検校とは盲人の最高位の官名をもらった人のことで、奥さんに美人をもらってもムダなことだろう、とうがった句である。美人だろうが不美人だろうが、他人様がもらった嫁のことを、とやかく言うのはお節介というものだろう。しかし、実はこの句には大いなる皮肉がこめられている。
 田沼時代、インフレ景気に浮かれていた武士や町人たちは借金を重ねて贅沢をしていた。そんな武士や町人たちに高利(法定金利は年15%だが、30%以上が普通)で金を貸していたのが、ほかならぬ検校などの盲人たちで、今風に言えば、サラ金で儲けた金持ちが、金の力にものを言わせて美人の妻を娶(めと)る風潮を揶揄(やゆ)した句なのである。
 検校と奥さんということなら、鳥山検校が吉原松葉屋の遊女瀬川を、一説には800両で身請けして奥さんにした話は有名で、現在なら1億円相当にもなろうか。そんなムダ遣いは「ダメよ~ダメダメ」と、つい言いたくなるような大金だったわけで、川柳の皮肉も分かるような気がするというものだろう。

馴染(なじ)みの遊女の妓楼へ行かず、他の妓楼の遊女と遊んだことがバレてしまい、それはダメよ、と皆に折檻(せっかん)されている吉原の客(左上)。頭に飾りを付けられ、遊女の着物を着せられて、皆に笑われているところ。十返舎一九作・喜多川歌麿画『青楼年中行事』(文化元年〈1804〉)刊より。

田沼意次…江戸中期の幕政家。九代将軍家重の小姓から、明和4年(1767)将軍家治の側用人(そばようにん)、安永元年(1772)老中となる。積極的な膨張経済政策をすすめ、江戸のバブル期ともいえる「田沼時代」を築いた。

岸田杜芳…生没年不詳。江戸中期の戯作者・狂歌師。江戸芝新明の表具師で、歌舞伎色の濃い黄表紙を書いた。

『日本多右衛門』…ここ延享3年(1746)に捕まった大盗賊・浜島庄兵衛こと日本左衛門をモデルとした歌舞伎の登場人物・日本駄右衛門をもじった書名。

猪牙舟…屋根のない舳先(へさき)のとがった細長い小舟。とくに吉原に通う遊客に用いられた.。

『俚言集覧』…国語辞書。26巻。太田全斎(おおたぜんさい。1759~1829)の著。『諺苑(げんえん)』を基礎にして、江戸時代の俗諺、俗語のほか漢語・仏教語などを集め、50音の横列順に配し、語釈を加えたもの。

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