そのことば、江戸っ子だってね!?

棚橋正博

第87回 「年増」はほめ言葉だった

 4月も下旬になると、通勤電車に乗っているリクルートスタイルの新社会人も会社勤めに慣れてきて、背広やスーツ姿も少し板についてくる頃である。
 かつては、女性の新入社員を手ぐすね引いて待ち受けていたのが「お局(つぼね)さま」と呼ばれるベテラン女性社員であった。しかし、いまの若い世代ではこの言葉はもう死語になりかけているであろう。
 おなじような語感で年上の女性をいう言葉に「年増(としま)」がある。「お局さま」も「年増」も、どちらも江戸時代に使われていた言葉である。「お局さま」は、大奥(おおおく)で奥女中たちを取り締まった老女であった。「年増」は、「年増(まさ)り」「年増し」(年長な者、年齢よりふけて見える意味)という語から変化した言葉であるが、江戸時代では、魅力的になった女性をいうほめ言葉でも使われた。
 たんに年齢をかさねたことで「年増」と呼んだのではなく、少女から歳を重ね、二十歳頃で、恋愛についても訳知りで魅力的になった女性が「年増」、二十歳半ばで花の真っ盛りのことを「中年増(ちゅうどしま)」と言い、さらに女性としての円熟した魅力が増した三十歳半ば以降を「大年増(おおどしま)」と呼んでいたのである。
 浮世草子(うきよぞうし) 『けいせい歌三味線(うたじゃみせん)』(享保17年〈1732〉刊)では、恋愛について訳知りで魅力的になった遊女のことを「年増」と称している。この『けいせい歌三味線』では、「粋」の漢字に「イキ」ではなく「スイ」のフリガナを施し、「粋(すい)」とは上方の花柳界や世態などで人情に通じている美的感覚の優れたことの意味で、江戸で言う「通(つう)」と同じになると強調している。江戸時代は、「粋」は「スイ」と読み、「イキ」は「意気」と書いた。
 明和4年(1767)刊の談義本(だんぎぼん) 『風流狐夜話(ふうりゅうきつねやわ)』では、「廿(はたち)ばかりになる中年増」がお稲荷さんに祈願している絵がある。これから、「年増」という言葉はあまり年齢に関係なく、魅力的になった女性という言葉であったことがわかろう。また、洒落本(しゃれぼん) 『蕩子筌枉解(とうしせんおうかい)』(明和7年〈1770〉刊)では、色白で粋(すい)も不粋(ぶすい)も知りぬき、妖艶で魅力的な遊女のことを「中年増」と称している。
 図版は、山東京伝(さんとうきょうでん)の洒落本『客衆肝照子(きゃくしゅきもかがみ)』(天明7年〈1787〉刊)から。吉原の二十歳代の踊り子(芸者)が湯に行く姿が描かれている。もう「年増」と呼ばれる年頃の女性である。
 江戸幕末の人情本(にんじょうぼん)に登場する深川芸者の場合、会話などから、二十歳になったから「年増」、「中年増」の女性は27歳、と見える。また、常磐津(ときわず)「年増」(天保10年〈1839〉)に登場する主人公は二十歳をちょっとすぎたあたりである。
 江戸時代、おもに花柳界で使われていた「年増」や「中年増」という言葉が、明治以降になって一般の女性にも使われるようになり、さらに平均寿命が延びたこんにち、それにあわせたように「年増」という概念も変わってきて、高齢な女性をさしていうようになった。しかし、本来は年齢をいうのではなく、魅力的な女性を表現したのが「年増」だったと肯定的に考えてもらいたいと私は思うのだが、いかがであろうか。
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風呂に行く「年増」の年頃の踊り子。髪を元結(もっとい)でたばね、左手に香袋を下げ、右手に着替えを持ち、口に手拭をくわえて歩いている。『客衆肝照子(きゃくしゅきもかがみ)』(天明7年〈1787〉刊)から。
浮世草子…天和2年(1682)刊の井原西鶴『好色一代男』以降、安永頃(1772~81)まで、上方を中心に出版された写実的な庶民文学。
談義本…宝暦(1751~64)から安永・天明(1772~89)頃にかけて、江戸を中心に流行した滑稽な通俗小説。
洒落本…宝暦(1751~64)ごろ上方に起こり、のちに江戸で発達した小説。遊里の内部や恋の手くだを男女の会話で描いたもの。山東京伝の活躍で頂点をむかえたが、寛政の改革の後は衰退した。
山東京伝…1761~1816。江戸後期の戯作者(げさくしゃ)・浮世絵師。黄表紙(きびょうし)、洒落本の第一人者。
人情本…近世小説の一様式。文政(1818~30)頃に発生し、天保(1830~44)頃を最盛期とした小説。江戸の市民生活や恋愛を描写した。主な作者に為永春水(ためながしゅんすい)など。
第87回 「年増」はほめ言葉だった