第89回 おへそが茶を沸かす

 新茶の美味しい季節である。
 お茶が現代のように気軽に飲めるようになったのは江戸時代になってからである。そしてお茶が庶民の飲み物になった江戸中期以降、さまざまな「茶」にまつわる言葉も発生してゆく。
 それは挙げるとキリがないほどであるが、「お茶の子さいさい(簡単にできる)」「お茶をにごす(ごまかす)」「茶にする(馬鹿にする)」「茶番(見えすいたこと)」などは日常的に今でも使われている言葉である。
 なかでも、「おへそが茶を沸(わ)かす」という言葉は、江戸の人びとが大好きで、さまざまな文芸作品に登場する。ちょっと軽蔑したようなニュアンスを含み、おかしくてたまらないことの形容として言う言葉で、「おへそで茶を沸かす」ともいう。
 しかしどうして、おかしくてたまらないと、へそが茶を沸かすのか。
 同義語としてある「おへそが笑う」「おへそが捩(よじ)れる」「片腹痛い」という語がヒントになりそうである。お腹(なか)を抱えるほど笑いお腹が痛くなったとき、おへそのあたりが煮え立つように沸騰するから、そこへ煎茶(せんちゃ)を沸かす急須でも置くと、お茶が沸くという謎解きと考えてよさそうである。
 山東京伝(さんとうきょうでん)黄表紙(きびょうし)には、「おへそで茶を沸かす」をもじった書名の『笑語於臍茶(おかしばなしおへそのちゃ)』(安永9年〈1780〉刊)という作品がある。日ごろ安く使われているへそから下の膝(ひざ)や足の各部が、とかく大事にされるへそから上の各部にたいして反乱を起こすが、「臍(へそ)の翁(おきな)」の説得によっておさまるというのがそのストーリーである。
 図版はこの物語の最初の挿絵から。ある人の腹のまん中に「臍の翁」という安楽隠居が住んでいて、茶釜で茶を沸かし面白おかしく暮らしていた。その人がとろとろとまどろんだすきに臍のあたりから翁があらわれ出て、膝や足の各部に教訓して諭(さと)すという内容で、この絵のところには、「人を茶にしたといふ事は此(この)翁より始まりける」と書かれている。
 この後に「へそも西国(さいこく)」という言葉も登場する。これは「へそが茶を沸かす」とおなじ意味であり、あまりにおかしくてへそが西国(関西以西の国)に行ってしまうこと。『俚言集覧(りげんしゅうらん)』には、「甚(はなはだ)しく嘲(あざけ)り笑ふを云」とある。同様の言葉に「へそが入唐(にっとう)渡天(とてん)する」(あまりおかしくて、へそが唐から天竺までも渡ってゆく)、「へそが宿替えする」もある。
 この黄表紙が書かれた安永の頃には、「へそが茶を沸かす」や「人を茶にする」「へそも西国」などの言葉がすでに広まっていて、江戸っ子たちに好まれて使われていたことがわかる。京伝はそういった流行語をすかさず取り入れて、黄表紙を書いたのである。
 ところで、インターネット情報に「おへそが茶を沸かす」と同義語ということで「踵(かかと)が茶を沸かす」という言葉があると、物知り風に書き込まれているものがあった。調べてみたら、これは『俚言集覧』を編纂(へんさん)した太田全斎編の『諺苑(げんえん)』に拠(よ)ることらしく、『諺苑』には、「踵(カヽト)カ茶ヲワカス 御臍カ笑フ (片腹イタキ喩〈たとえ〉)」とあった。
 踵は別に「きびす」とも呼ぶ。煎茶を沸かす急須は、キビショウ→キビショ→キビス→キュウスなどと音変化しており、「踵が茶を沸かす」は「急須(きびす)が茶を沸かす」の謎解きであった。

『笑語於臍茶』(安永9年〈1780〉刊)より。心学(しんがく)の談義本(だんぎぼん)『臍隠居(へそいんきょ)』(安永3年〈1774〉刊。岡田驚光著)を平明な絵本化したものである。

山東京伝…1761~1816。江戸後期の戯作者・浮世絵師。黄表紙・洒落本(しゃれぼん)の第一人者。

黄表紙…江戸後期の安永4年(あ775)から文化3年(1806)頃にかけて流行った草双紙(くさぞうし)のひとつ。洒落、滑稽、風刺をおりまぜて絵と文で面白く作った小説だが、大人のコミックに近い。

『俚言集覧』…江戸中期の国語辞典。26巻。太田全斎編。寛政9年(1797)以降の成立。俗語、方言、ことわざなどを収録。

『諺苑』…江戸時代末期のことわざ辞典。太田全斎編。『俚言集覧』はこれを増補改編した国語辞典。

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