第91回 江戸の売り声

 「きんぎょーや、きんぎょー」、江戸の街を金魚売りがゆく。
 金魚は、元和6年(1620)に朝鮮半島から渡来したとされる(『武江年表』)。半世紀もすぎると、品種改良された金魚は初鰹(はつがつお)より高い5両以上の高値で売れ、ヒマな大名や金持ちたちは金魚の品種改良に血道を上げたという。
 安永年間(1772~80)頃になると、売り声は夏の風物詩ということになってくる。客が来ると天秤棒を下ろして客の望みの金魚を売った。川柳には、

    金魚売り是か是かと追つかける   

  (『誹風柳多留』9編〈安永3年刊〉)

と詠(よ)まれている。朝早くに来る、売り声が「アッサリ、死んじめえ」と聞こえるという浅蜊(あさり)・蜆(しじみ)売りは子どものアルバイトであった。納豆売りや豆腐売りも朝早くやってきた。
 今は、こういった街中を売り歩く物売りそのものがいなくなって久しい。もう、ふた昔も前になろうか、スピーカーで呼び歩いていたのはちり紙交換のトラックだったが、最近では乗らなくなった自転車やモーターバイクなどの廃品回収車の呼びかける声が聞こえるていどになった。
 ちり紙交換は江戸時代の紙屑屋(かみくずや)で、リサイクルの代名詞というようなことを言う向きもあるが、たしかに和紙は漉返(すきかえ)しが可能で、その再生紙は浅草紙(あさくさがみ)などと呼ばれ黄表紙(きびょうし)など草双紙(くさぞうし)と称される絵本、今で言えばマンガ、コミック本の紙として再利用された。現代のマンガ、コミックも再生紙を利用していることは、その伝統を引き継いだもので、あのザラザラした触感がスマートフォンの触感にとって代わられる日は近いかも知れない。
 再生紙の話のついでに言うと、ちり紙交換の紙の多くは段ボールで再利用されるわけだが、再生紙の浅草紙とちがって段ボールに加工するのには糊が必要である。作る工程において重ねて厚くするために使う糊の多くは輸入トウモロコシや小麦粉を原料としている。そこで円安になると段ボールの値段もどうなるか。
 他のリサイクルの再生紙も、紙屑屋が回収した紙を水に浸し漉返す単純作業の江戸時代とちがって複雑になってきている。白い再生紙になるまで遠心分離器などの機材を使って電力を消費し、漂白剤を使用したりと事情は違っている。江戸時代と同じリサイクルだというのは、「ふうたきい」(聞いた風の倒語。知ったかぶり)の事情オンチの話である。
 十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が糞リアリズムで会話を書いた洒落本(しゃれぼん) 『吉原談語(よしわらだんご)』(享和2年〈1802〉刊)に見える玉子売りの売り声は、川柳で「一声も三声(みこえ)も呼(よば)ぬ玉子売」(『誹風柳多留』60編〈文化9年(1812)刊〉)というように「たまァごたまごゥ」である。現在、噺家が高座で売り声をするのと若干違うようにも思われるが、おそらく世の中が慌ただしくなった明治頃からちょっと変わってきたらしい。紙屑屋の掛け声とされる「クズーィ、紙屑」も明治なって街中を流すようになってからの掛け声のようでもある。
 一九は『吉原談語』で鮨売りの呼び声も書いている。もちろん今の握り寿司ではなく押し鮨(熟〈な〉れ寿司)を箱に入れて売り歩いたもので、「青柳すゥし、鯛のすゥし」。これは風鈴蕎麦(二八蕎麦)などと一緒に庶民の夜食向けに売り歩いたものである。

紙屑拾いが江戸の街をゆく。両替商の息子が色里に入れあげて家財をなくし、一念発起して古金買いと紙屑拾いをはじめ成功するという、黄表紙『金紙屑〈しゅっせのかみくず〉』(安永4年〈1775〉刊)の挿絵より。 

十返舎一九…1765~1831。江戸後期の戯作者。ベストセラー『東海道中膝栗毛』をはじめ、さまざまなジャンルの作品を多く残した。

洒落本…近世後期小説の様式。遊里での遊びを題材にして、会話体で遊里の内部や恋の手くだを写実的に描いた。

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