第 5回 とばっちり大漁

 新幹線からの眺めは、どうもいまいち、心に沁み込んでこない。
 びゅーんびゅーん飛ばしていくので、美しい景色が眼前に広がっても、本当に観たという実感がわくより前に、次の景色へ移ってしまっている。ただし富士山はちょっと例外で、静岡県に入ると車窓からはみ出んばかりのあの雄姿が現れ、時速何百キロで走っていようと、相手は微動だにしない。でも、もし新幹線から眺めただけで「富士山を観た」といったら、富士山に対して甚だ失礼ではあるが。
 景色ではなくて、むしろ看板の類いを味わうのに、新幹線のスピードは合っているかもしれない。ぱっと目に入って、あっという間にすぎていき、その残像がおもしろいかどうか。茶畑に立てられた看板、田圃(たんぼ)の畦(あぜ)から背伸びする看板、都市部のおびただしいビルに設置されたおびただしい看板たち……。
 新幹線の窓から見えた看板の中で、いちばん印象に残っているのは、ひょっとして「エーゲ」というホテルのやつかもしれない。名古屋と米原の間に岐阜羽島という駅があり、ぼくはまだ一度も降りたことがないが、たしかその近くで「エーゲ」が営業しているはずだ。もちろん「のぞみ号」は停車せず、「ひかり号」も多くは止まらないので、瞬きをしたら見そこねる可能性があるけれど、下り列車で右側に座って見張っていれば、一瞬にしてギリシアの海へワープできる。どちらかといえばビジネスホテルよりラブホテルの雰囲気がただよい、看板のどこが魅力的かといえば、「エ」と「ゲ」の間の音引きの形だ――単なる傍線ではなく、それ自体がイルカをかたどっているのだ。
 特別に美しく描かれているわけでもなく、しかしイルカの弓なりの体の美しいラインがちゃんととらえられているので、看板を見かけた瞬間に文字が泳ぎ出す。まっすぐ「エ――ゲ」と棒読みするが、急に嫌になり、真ん中の背びれのあたりで抑揚をつけて、弧を描いたイルカ・アクセントで読みたくなる。
 思えば、イルカはさまざまなマスコットやキャラクターに使われるし、ペンダントだのイアリングだのイルカ・アクセサリーは世界中のギフトショップにあふれている。タトゥーの柄としても人気が高い。不思議なことに、それらの作りが下手でも安っぽくてもイルカの体型さえ認められれば、一応すてきに映る。やさしいカーブのお手本として、喜びの具現として、この世に存在してくれているようだ。
 アメリカやヨーロッパでイルカのきれいな曲線をよく見かけるのは、ツナの缶詰のラベルでだ。Dolphin Safe あるいは Dolphin
Friendly と書かれてイルカがそこにあしらってあれば、「なるべくイルカを殺さないようなマグロ漁をしています」という意味らしい。そのマークの種類によっては、基準が緩かったり監視が甘かったりするらしいけれど、少なくともかつてのようにマグロの一網打尽を狙い、イルカを百万頭単位で巻き添えにすることは、やっていないはずだ。ただ、「はず」ではあるが――。
 突き詰めていくと、ツナ缶に Dolphin Safe や Dolphin Friendly と記すのは、マグロどもに対してずいぶんな仕打ちだ。「イルカを殺さないでマグロだけ大量虐殺しましたのでどうぞご安心ください」といっているわけだから。しかし、魚を食べることを許した上で海のことを考えるのなら、「混穫」は深刻な問題であることは間違いない。
 漁業関係者が獲って売ろうとしている魚以外に、ほかの種類も網にかかったり釣り針に食いついたりして、結局捨てられてしまうことを「混獲」と呼ぶ。イルカたちがあまりにも大量に混獲に遭い、絶滅へと追い込まれていったので、1980年代からはクローズアップされ、例の「イルカにやさしい」マークも登場した。ところが、海の無駄死にが全体的に減る流れになったかと思ったら、それはまったくの錯覚だ。最近のデータによれば、世界の全漁獲量の4割ほどが混獲であり、海の生き物たちは年間3,800万トン以上、巻き添えを食ってむなしくなっているというのだ。
世界自然保護基金のWWFが、2000年から3年分の漁業関連データを日本を始め23カ国から集めて洗い直し、それにマグロ漁などに関する世界の統計も加えて割り出した数字だ。サメを狙う「鱶鰭(ふかひれ)漁」の底引き網の中身は、なんと9割以上が投げ捨てられていたらしい。
 詩人金子みすゞは、1920年代にイワシ漁を見つめてこんな作品を書いた。

 大漁
                  金子みすゞ
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう。

 魚たちの身になってみれば、大漁は大量死を意味し、とんだ災難だ。しかしイワシを狙った漁師たちが、狙い通りにイワシをどっさり獲り、そのイワシが人間たちの栄養になっていけば、イワシたちの弔いのみで済む。今の漁業のあり方は、何万トン、何十万トン、何百万トン、何千万トンもごっそり獲って、その半分近くを殺すだけ殺して浮かばれないまま放置している。現代の「大漁」だったら、海のなかでは種類を問わず何千万いや何億もの魚がのべつ幕なしに弔いしなければならない。
 生活者として、魚を食う生物として、みすずの視点が必要だ。

アメリカ、カークランド社製のツナ缶

アメリカ、カークランド社製のツナ缶

「イルカにやさしい」マーク1

「イルカにやさしい」マーク2
「イルカにやさしい」マーク3

「イルカにやさしい」マーク各種

「永遠の詩01」『金子みすゞ』小学館より2009年11月末刊行予定

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