第12回 風下っ子


 「いちばん好きな漢字は?」

 ときどきそう聞かれる。

 日本語を母語として漢字に囲まれながら育った人間も、たまに同じことを聞かれるかもしれないが、回数でいうとぼくのほうがきっと多いだろう。アルファベットの26レターを使って育ち、20歳過ぎてから日本語の文字ジャングルにもぐり込んで、この20年余りずっと漢字と格闘しているからだ。

 ただ、そもそもぼくは漢字とひらがなとカタカナの多様な世界に魅せられて、日本語を覚えようと思い立った。学べば学ぶほどに文字が面白くなり、今も興味が薄れる気配などない。したがって「いちばん好きな漢字は?」と聞かれると、こまってしまう。みんな優劣つけがたく、好きな漢字は馬に食わせるほどあって、いっぺんにどっと頭に浮かんでくる。「馬」「牛」「虫」「蝶」「亀」「蛇」「鳥」「梟」「魚」「鮫」「犬」「狼」「猫」「虎」「蛙」「蟇」「池」「沼」「川」「河」「湖」「海」「山」「峰」「岩」「巌」「木」「樹」「梢」「葉」……といった具合に。

 結局、好き嫌いの基準では選べない。けれど、実際に書いてみて「いちばん実感がわく漢字は?」とくれば、少し候補を絞ることができる。「山」は単純でありながらも見事に山の姿を見せてくれるし、「川」もまったくだ。「毛」を書くだけでなんだか毛が生えてきた感覚になるし、「尾」も妙に尻尾の生えた感覚とつながるし、また「菜」はちゃんと菜っ葉の存在を包んでいる印象だ。もっと画数の多いものでも、たとえば「兜」という字を書いていけば、なるほど兜(かぶと)を組み立てている感じがするし、ましてや「兜蟹」を丁寧に綴ってみたなら、いつの間にか心の中で砂浜が広がり、波打ち際を兜蟹(かぶとがに)が一匹のしのし歩いてくる。でもひょっとしたら、「いちばん実感がわく」のは「風」という漢字ではないか。

 何百回も、いや、何千回となく書いているから、よけい実感をともなうかもしれないが、筆でも鉛筆でもボールペンでも、あの「几」の尻尾の撥ねあたりでシュルッと風が起こる。そして内部に「虫」を孕(はら)めば、その一字の表情が決まる。「微風」に見えるか「強風」に見えるか、「熱風」か「寒風」か、「川風」か「山風」か「潮風」となるか、それは書き手の気分と癖次第だが、どう書こうとも「風」という漢字はなんらかの風を吹かす。しかも、空気そのものが目に見えない存在なのに、漢字の「風」は、この上なくビジュアルな現象なのだ。

 イギリスの詩人クリスティナ・ロセッティのWho Has Seen the Wind?という作品は、涼風のようにやさしく、一度読んだら忘れられない。その名詩を、西条八十の和訳で読むと「風」の漢字の効果も加わり、原作に負けない、あるいはそれを超える風力を発揮する。


Who has seen the wind?
Neither I nor you:
But when the leaves hang trembling,
The wind is passing through.

Who has seen the wind?
Neither you nor I:
But when the trees bow down their heads,
The wind is passing by.
          Christina Rossetti(1830-1894)


だあれが風を見たでしょう
ぼくもあなたも見やしない、
けれど木の葉をふるわせて
風はとおりぬけてゆく。
         西条八十訳



 古今東西の人間の暮らしにおいて、風は計りしれない影響をおよぼし、国問わず言語問わず、すべての文学で大きな役割を果たしてきた。ところが1942年に、原子炉というものが初めて組み立てられ、核分裂の連鎖反応によって核兵器の原料が大量につくられるようになった。そこからじりじりと「風」の意味合いが変わり始めた。

 核開発の施設から漏れ出す放射性物質が風にのって飛散する。1945年7月16日にニューメキシコ州でプルトニウム爆弾の核実験が行なわれ、北米大陸の風が死の灰を運び、その翌月、広島にウラン爆弾、長崎にプルトニウム爆弾が投下され、市民の大量虐殺とともに、日本の風も、死の灰に毒された。

 それ以来、核実験が2000回以上も行なわれ、原子炉が世界中で稼動して、放射性物質が風にばらまかれない日はない。そんな中で、人間もほかの生き物たちも、風上にいるか風下にいるかが運命の分かれ道となった。

 核戦争と核の冬を生活者の立場で描いたレイモンド・ブリッグスの作品のタイトルはWhen the Wind Blows(『風が吹くとき』)となり、福島第一原子力発電所の人災を予言した若松丈太郎の名詩は「みなみ風吹く日」(South Winds)という題名だ。なにも偶然に重なったわけではなく、人工の放射性物質が飛ばされる世界では、風の吹き回しが生死を決するのだ。

 風関連の新しい言葉も生まれた。原発あるいは原水爆の風下で、死の灰をかぶったり住む地域が汚染されたりして、被曝させられた人たちのことを英語でdownwinderと呼ぶようになった。核大国アメリカに生まれ育ったぼくは、もちろんdownwinderという単語を知っていたが、「日本語でなんと呼ぶか?」について2011年の春までは、考えたことがなかった。

 ある日、アメリカの友人からTシャツが届き、それはちょうど5月にシカゴ大学で開かれたシンポジウムThe Atomic Ageに合わせてデザインされたものだった。胸にイリノイ州のバイロン原発の写真とdownwinderの定義がプリントされ、背のほうには放射能汚染に見舞われた場所の地名がずらずらとリストアップされていた。ヒロシマもナガサキもネバダもビキニも、チェリャビンスク、ウィンズケール、スリーマイル・アイランド、チェルノブイリ、そしてトウカイムラ、ツルガ、フクシマも……長いリストを読んでいくうちにじわりじわりと実感がわく。ぼくらがみんなdownwindersである実感が。

 そしてふっと、頭が日本語に切り替わり、そのdownwinderに相当する表現がないことに気づいた。「カザシモビト」か「カザシモゾク」か「カザシモリアン」か……妻と二人でさらに考えて、彼女が打ち出した「風下っ子」に決定した。
「だあれが放射能を見たでしょう」と、とおりすぎてゆく風に、問いかけたくなる。


Who has seen radiation?
Neither I nor you:
But when our DNA is cut,
Radiation’s passing through



*西条八十の訳は『少年少女世界文学全集50  世界少年少女詩集 世界童謡集』(講談社)より

















「風」の書体のいろいろ


「風」の書体のいろいろ
*「允明」「李白」の文字は、『書道六体大字典』より














































































































『風が吹くとき』(DVD)


『風が吹くとき』(DVD)




『ひとのあかし』(詩:若松丈太郎、英訳:アーサー・ビナード)


『ひとのあかし』
(詩:若松丈太郎、英訳:アーサー・ビナード)
「みなみ風吹く日」(South Winds)所収



友人から届いたTシャツ(表)


友人から届いたTシャツ(表)
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友人から届いたTシャツ(裏)


友人から届いたTシャツ(裏)
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