第14回 財政のバンジージャンプ

 「崖」という漢字が好きだ。じっと「崖」を見つめていると、本物の崖のスリルの一片が味わえるからだ。

 自分の手で上から下へ「山」と「厂」と「土」と「土」をつづれば、「本当に崖だなぁ」と実感がわく。理屈じゃない、説明しきれない感覚だが、おそらくてっぺんの「山」が功を奏していると思う。やや頭でっかちにのっかっているところが面白く、しかもその土台となっているのは、かなり緩く造成された「圭」なので、よけい不安定な雰囲気がただよう。いつ「崖崩れ」が発生してもおかしくない、そんな危なっかしさが伝わってくる。

 けれど思えば、いちばん初めに「がけ」という日本語を覚えたときは、漢字からではなく、音から入ったのだ。そこでビギナーとして、「かげ」や「かけ」と区別するためにも、ぼくは「がけ」の発音について考えた。英語のcliffも、どことなく切り立った感じがあり、「クリッフ」の響きは険しさを演出しているが、日本語の「がけ」はもっと鮮やかな印象だ。擬態語の「がくり」とつながるような、真ん中で急に落ちるイメージがあって、「がくっ」というか「がけっ」と、一種の段差をかもし出している。

 日本語を学んでいく中で「崖っぷち」という表現にも出会い、「同じ崖でも、縁のほうに焦点を当てた表現」と教わった。促音が入ると勢いがよく、ぼくは好んで「崖っぷち」ばかり口にしていたが、そのうち単体の「崖」と、もうひとつの違いに気づいた。

 緊迫したぎりぎりの状況を表わす場合、「生死の崖に立たされる」といわずに「生死の崖っぷちに立たされる」という。つまり比喩的に使われるときは「崖」じゃなく、「今回の選挙は崖っぷちの戦い」とか「チームは崖っぷちで踏ん張っている」とか、「崖っぷちの芸能人」といった表現になる。決して「崖の芸能人」とはいわないのだ。

 そんな具合に、ぼくはずっと使い分けてきたが、2012年の暮れ、「崖」と「崖っぷち」の基準が崩れてしまっていることを発見した。

 英語のfiscal cliffが日本語に訳され、ニュースなどで「財政の崖」として取り上げられていた。明らかに「生死の崖っぷち」とそっくり同じ比喩だというのに、どう考えても「財政の崖っぷち」となるはずだというのに、すべてのチャンネルと新聞各紙、雑誌もみんな「財政の崖」にした。

 そもそもfiscal cliffとはなにか。米政府が「財政赤字減らし」の名の下で2011年の夏、国会で大幅な歳出削減を申し合わせ、時限措置をつけた。もしも民主党と共和党が、なにをどう削るかについて合意に至らなければ、2013年の年明けから自動的に強制削減が始まるという内容だった。バッサバッサの強制削減といっしょに、前政権の減税措置も期限切れとなるので、経済は険しいcliffから転がり落ちかねないという。

 そんなfiscal cliffを真に受けるなら「財政の崖っぷち」となるはずだ。そして日本のマスコミはこぞって真に受けた風に報道した。

 「2013年1月1日の夜、アメリカ議会下院は、減税の期限切れと政府による支出の強制的な削減が重なる、いわゆる『財政の崖』の回避に向けた法案を、超党派の賛成多数で可決した。上院では1日未明に可決済みで、法案はオバマ大統領が2日にも署名して成立する。『財政の崖』についてオバマ大統領は、『経済強化に向けた幅広い努力への一歩』と評価した」などなどといった調子で。

 ところが、それらの報道から完ぺきに摘出されていたのは、アメリカの一般国民の反応だった。米国内では、おそらく半数以上の有権者は「財政の崖」をただの噴飯もの、とんだ茶番劇と見抜いていた。民主・共和グル体制の出来レースとして、家庭でも飲み屋でもラジオ番組でもどんどんジョークをとばし、苦笑いしていた。庶民にツケを回すときは、なんらかの期限を設け、それっぽくぎりぎりの「崖っぷち」を利用するのが、悪政の常套手段だ。案の定fiscal cliffも、21世紀の悪政の実例となった。あまたある中の、ほんの一例にすぎないが。

 日本のマスコミのインサイダーたちは、最初から、演出だけの出来レースだとわかっていたに違いない。でも日本国民にはそれを伝えようとしなかった。あくまでも真に受けるふりを通したが、やはり茶番劇の演題たるfiscal cliffを翻訳するときに、ちょっぴり恥ずかしくなったらしい。「崖っぷち」と呼んだらあまりにも現実とズレてしまうので、手加減をして「崖」におさえておいたようだ。その結果、日本語として変な表現になり、あやふやなままニュースから消え失せた。

 次なるでっち上げの「崖」がいつまた巡ってくるか。その際には、ぜひ正直に和訳してもらいたい。アメリカ人として提案させてもらえるなら、「財政のバンジージャンプ」ではどうか?

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