第16回 うまい「不自然水」新登場

 水を売り込むために使う日本語のテクニックがある。 
 
あるいはメソッドと呼ぶべきか。ルールといえるほど強制的なものでもないが、ミネラルウォーターの商品開発とPRにたずさわる広告代理店のプロたちは、みんな心得ているはずだ。
 
ただ、国語辞典には載っていないし、教科書で紹介されることもないので、いまのところ一部のインサイダーだけの、知る人ぞ知るのスキルにとどまっている。
 
 
ぼく自身、「ミネラルウォーター」という片仮名語がほとんど流通していなかった時代に来日して、この二十余年、つぎつぎと水が売り物に作り変えられる流れを見てきた。「蛇口をひねればちゃんと飲める水が出るというのに、いったいどうしてそんなものをわざわざ買うんだろう?」―― そう思いながらさまざまな新商品のアドバタイジングを観察、やがてネーミングの法則を割り出すことができた。
 
 
もちろんゼロから組み立てられた法則ではなく、もともとベースになる日本語の単語がいくつかあった。「水道水」とか「地下水」、そして「飲用水」、「伏流水」も命名メソッドの出発点といえよう。生活の中で古くから使われていたそれらをふまえ、ボトリングして販売する水を、たとえば「自然水」と名づけて上品にプロモーションする。または「天然水」と呼んで優雅なキャンペーンを張る。もう少し高級感を醸し出そうとするなら「還元水」なんて命名してもいい。もっと神秘的に消費をそそりたければ「深層水」という手もある。もしくは北国の雰囲気をセールスポイントに据える場合、「氷河水」がとても涼しげでいい感じだ。H₂Oの中身はほとんど変わらないはずだが、細かく呼び分けることで売り上げをのばしていく。
 
 
その延長線上で、さらなる差別化をはかるストラテジーとして、さまざまな地域のローカルカラーを前面に打ち出すようにもなった。いつか奥出雲へ遊びに出かけた際、道の駅に立ち寄ったら「龍神水」のペットボトルがずらりと並べてあった。
「うわっ、かわいそうに、八岐大蛇(やまたのおろち)まで呑み込まれちゃったんだ」
 
いささか衝撃を受けて、それから羽田空港へ飛んでラジオのスタジオに直行したら、番組のスタッフのひとりも、ちょうど屋久島から戻ってきたばかりだった。彼が手に持っていたのは「縄文水」という名のミネラルウォーター。

 「なるほど『縄文水』が流通してるなら、今度は東京でもきっと、ありし日の輝きを連想させる『江戸水』か『弥生水』を売り出しちゃうのかも……」
 
勝手に想像したけれど、あとで調べたら、都の水道局はすでに「東京水」を商品化してコマーシャルを流していたことがわかった。
 
 
数々の実例から、テクニックの手口は浮かび上がってくる。まず魅力的なペアルックの漢字を選び、その尻に「水」の一字をつけ足して「すい」と読ませる。頭の二文字によって「○○水」のイメージがかもし出され、スペシャルなH₂Oと受け止められる。そうやってPR業界のウォーターネーミングが行われているわけだ。
 
 
ある言語の中で、ひとつの定型ができ上がって広く認識されると、今度はそれと真逆の表現も、もうひとつの定型になり得る。日本語のこの簡潔な三文字「○○水」に対して、やはりわざと長ったらしく地名と形容詞を組み合わせた間延びネーミングのパターンも存在する。「六甲のおいしい水」だの「富士山のおいしい水」だの「甲斐のやさしい水」だのが、そんな力学で成立しているはずだ。
 
 
商品名の「自然水」も「天然水」も「還元水」も「深層水」も、いつしか一般名詞に見えるくらい定着して、ぼくは「そろそろ日本語の水マーケティングは飽和状態だなぁ」と思っていた。ところが2011年3月11日のあと、「○○水」の定型はより一層巧妙に利用され、うんと手の込んだイメージ戦略へと深化した。今いちばん効果をもたらしているウォーターネーミングは、まぎれもなく「汚染水」だ。
 
 
テレビでこれまで何回も大々的に取り上げられ、新聞でもいったい何回トップの一面を飾ったことか。三文字の「汚染水」のみならず、スピンオフの派生語としても「汚染水問題」「汚染水漏れ」「汚染水対策」「汚染水タンク」うんぬんと、全国にこの呼び名を浸透させるキャンペーンは大胆で、あれよあれよと知名度を高めていった。

 「えっ、ちょっと待ってよ、あれはコマーシャルじゃなくてニュースのほうだろ?」と、首をかしげる読者もいるかもしれない。しかし、そんな表面的な振り分けに惑わされてはならない。冷静に見つめると、広告代理店がひねり出した名称に違いない。なにしろ本質をすっぽり包み隠すように組み立てられているからだ。
 
 
科学的には、とても「汚染水」と呼べるような可愛い次元の問題ではなく、核分裂の「死の灰」が大量に垂れ流される危機がずっとつづいている。半減期29年のストロンチウム90や、半減期30年のセシウム137や、半減期24000年のプルトニウムなどなど、人工的に作られた殺傷能力の高い放射性物質が、圧力容器と格納容器を溶かしてどんどん環境に広がっていく。どうにも処理も処分もできず、出口戦略すら描けていないのが現状。風が吹けば飛ばされるし、雨が降ればいっしょに流れるし、おまけに、冷やしておかないと再び爆発するおそれがあるので、絶えず水を注ぎ込まなければならない。当然、溶け落ちた物質が地下水に触れるということも、わかり切った話で、わざわざ別枠で命名する必要なんかないはず……。
 
 
いや、ごまかすためには、命名する必要が大いにあった。ストロンチウム、セシウム、プルトニウムをはじめとする危険きわまりない放射性物質は、大気中に出てしまっても土に付着してしまっても海に流れてしまっても、とりかえしがつかない。そんな人災を矮小化して、ほんの一部だけ切り離して「汚染水問題」と名づけ、さも対処ができるみたいに振る舞って見せる。太平洋がどんなに痛めつけられても、とにかくパフォーマンスを繰り返し「汚染水対策」を連呼して、それで実態をうまく隠せたら、時間はたいぶ稼げるだろう。

 「炉心がぐちゃぐちゃに溶けて、圧力容器が無圧力の笊(ざる)と化し、格納容器も穴だらけの茶こし容器になり、近寄ることもできない放射性物質がごっそり出ちゃって手の施しようがなく、このダダ漏れ状態は止められず、東京電力が担っても日本政府が前面に出ても、手詰まり状態だ。現場作業員の被曝線量を度外視しない限りは、ずるずるとごまかすのが関の山」と、もし政府が正直に認めてしまった場合、原子力と核開発の利権構造は崩れてしまいかねない。原発海外輸出の商談は当然ポシャるし、国内の再稼働もできなくなるし、ただでさえ回らない「燃料サイクル」も、原子力規制委員会の「安全審査」も噴飯ものと見抜かれてしまう。「だったら早急にカモフラージュを施さなきゃ!」―― そんな危機意識から生まれたのが「汚染水キャンペーン」ではないか。
 
 
無論、福島第一原子力発電所の地下水を汲み上げてボトリングして売るわけではない。「汚染水」という日本語が流布するだけでコマーシャルは大成功だ。つまりみんなが「水」の問題だと勘違いしていれば、その間に、次なるペテンを仕込むことができる。第一弾として、たとえば「4号機プールの燃料取り出し」を世人の注目を巧みにそらすショーに仕立てるとか。
 
 
放射能のホの字、被曝のヒの字、核分裂のカの字、ストロンチウムのスの字も表面に現れない「汚染水」のネーミングは、ミネラルウォーターの宣伝技術を転用した離れ業といえる。キャンペーン開始から一気に広まり、正式名称として使われ、もはや「汚染水問題」を言いかえることが困難かもしれない。ただ、もしそうだとすると、もし本当に「汚染水対策」が日本語として認められるものならば、ぼくはほかの表現も同じ基準に合わせる必要があると思う。筋を通すためには、せめてそれくらいのことをしないと。
 
 
真っ先に言い換えるべき言葉は「インフルエンザ」だろう。病原である「インフルエンザウイルス」とつながって因果関係がわかってしまうので、そこを消し去って「鼻水問題」に改名するのが妥当だ。「汚染水対策」に合わせて、厚生労働省と医療機関はささっと「インフルエンザ対策」を「鼻水対策」に……。
 
 
ま、でも、ぼくはやはり「汚染水」のほうを廃棄処分にして、まともなネーミングを定着させたい。流行性感冒に罹ったときの鼻水と同様、福一が垂らしている水は元凶ではなく、やっかいな症状としてとらえなければならない。「欺瞞水」か「隠蔽水」か「炉心水」、あるいは「溶融水」か、けれどそもそもミネラルウォーターのテクニックを使うこと自体が不誠実で、どうひねろうとも「○○水」は本質とズレる。
 太平洋の生き物の身になって、現状を正確に名づければ「海ころし」となる。
 日本酒の命名術の転用に思われたら、「鬼」に対して失礼なネーミングにはなるが。

 

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