第18回 「ドーデモドーム?」

8月の初めに福岡へ出かけて、博多駅で友人と落ち合い、彼の車に乗せてもらって市内をあちこち回った。うまいラーメンをごちそうになったあと、高速道路を飛ばしていたら、するっとカタカナのみの標識が脇から目に入ってきた。ほんの一瞬に通りすぎたのでその尻尾の「ドーム」しか読みとれず、でもなんだか気になって「さっきの看板になんて書いてあった? ナントカドーム?」と聞いた。

「あ、ヤフオクドームだよ、ほら、あっちに屋根が見えるだろ。ヤフオクドームって行ったことない?」 友人はそう答えた。ごく当たり前に、その奇妙な名称を口にして。

「福岡ドーム」という言葉はちゃんとぼくの記憶にあった。はじめて福岡を訪れたとき、その呼び名を耳にした気がする。そしていわれてみれば、ずいぶん経ってから「ヤフー」と呼ばれる企業が、「福岡ドーム」の命名権を買い取ったことも、新聞記事で知ったは知った。ただその時点で、ぼくは「ヤフードーム」というネーミングを、しまりがなさすぎて出来損ないの日本語ととらえ、受けつけずに自動的に改名を拒否したのだ。脳内では「福岡ドーム」のまま据え置かれていた。

そもそもyahooという英語は、陽気に声を張り上げた場合、「ヤッホー!」とか「わーい!」みたいな意味になるし、また人を指して使うと「野暮な奴」といった意味だ。そんな単語を逆手にとって会社名にすることで、ちょっと目を引くし、響きもそれなりにおもしろい。だが、公共性の高い施設にくっつけると、意味が「ヤッホードーム」だろうと「野暮ドーム」だろうとYahoo Domeはふざけた印象になる。

でも、いつの間にかさらにもっとふざけた「ヤフオク」に改名されていたわけだ。インターネットオークションの世話にならずに暮らしているぼくだけれど、「ヤフーオークション」を縮めた言葉だとわかった。略語を使用すると、それだけでくだけた雰囲気もかもしだされ、意味は違うが「ドタキャンドーム」とか「メル友ドーム」くらいのテンションまで下がる。どうせなら、無理に「オークション」の頭を圧縮して「オク」にするよりも、尻尾の「ション」を使って「ヤフションドーム」にしたらどうかと一瞬、提案したくなった。でも次の瞬間、そうしたら「タチションドーム」と揶揄されかねないことに気づいた。車の助手席の開いた窓から少し顔を出して見つめたら、なんとドームの上のほうにはエクスクラメーションマーク入りの「ヤフオク!ドーム」と記されていた。友だちに「どうやってビックリマークの力をこめて発音するんだい?」と聞いたら、「そんなこと、だれも気にしてないよ」と返ってきた。

福岡から広島へ戻り、原爆の日は朝から平和祈念式に参列した。それから「原爆ドーム」の前で手を合わせ、広島生まれの友人がむかし語ってくれたドームの話がよみがえった。

「この『原爆ドーム』のある街に育って、ずっとその重みを感じてきた。ところが1980年代の後半、新たに『東京ドーム』というものが建設されると聞いたとき、なんだか侵されたような感覚になった。もちろん『原爆ドーム』は商標登録されてなかったので、法的にはなんの問題もなかっただろうが、そもそも商標登録とドームが結びつくこと自体が、ある意味、ショックだったと思う」

ぼくが来日したのは1990年、「東京ドーム」が開場して2年ほど経ってからだ。東京に住みついたので「原爆ドーム」を見学するよりも前に、ぼくは東京の屋根つき球場で野球を観戦したりした。しかもアメリカにはAstrodomeとかSilverdomeといったネーミングの屋根つき球場があるので、「東京ドーム」はその延長線上にあると思った。しかし広島を訪れたとき、「原爆ドーム」を前にして疑問がわき、その名称のルーツを調べてみた。

もともと元安川のほとりにドーム屋根のネオ・バロック風洋館が建設されたのは、ざっと1世紀前のことだ。チェコ人の建築家ヤン・レッツェルが設計を請け負い、1915年に竣工したときは「広島県物産陳列館」という名だった。6年後に「広島県商品陳列所」に名称が変わり、また1933年には「広島県産業奨励館」に改称された。1944年からは内務省の土木事務所や木材会社が拠点に使い、もう「産業奨励館」というより「戦時体制館」のようになっていた。

1945年8月6日午前8時15分を境に、姿も存在意義も一変して、いつしか「原爆ドーム」という名に変わった。だれがそう名づけたか、どこの組織がその名称を定めたかということもなく、どうやら広島市民の生活から生まれ、みんなの言語的合意の上に成立した命名らしい。

世界遺産に選ばれた際、「広島平和記念碑」という別名で登録され、今のところ、表向きはそれ以上の改名は予定されていないはずだ。ただ、ま、ぼくの単なる杞憂にすぎないだろうし、もちろん杞憂であって欲しいが、これから「原爆ドーム」の命名権が払い下げられることもあり得るのではと、心配なのだ。

以前は、「広島市民球場」はちょうど「原爆ドーム」の向かいに建っていた。でも2010年にカープが引っ越して、「マツダズーム・ズームスタジアム」に球場の呼び名も変わった。そんな前例と、「福岡ドーム」の名称の変遷と、この30年間の「ドーム」の意味の変質をいろいろ考え合わせると、ひょっとしたら「グーグル原爆ドーム」みたいな、「ドコモ原爆ドーム」みたいな、あるいは「中国電力ドーム」といった改名が広島のシンボルを待ち受けている可能性も……。想像しただけでぞっとする。

市民が原爆と原発と水爆をお払い箱にするため、本気で取り組んでいないと、「原爆ドーム」はそこらあたりの観光名所と同じ次元になってしまう。そして経済の流れに任せていたら、命名権売却の話が浮上するのは時間の問題だ。

もし市民が本当に、日本列島の核の平和利用と軍事利用を終わりにできたなら、その暁には、別の改名が起きることも考えられるか。つまり「原爆ドーム」が発展的に「原爆廃絶ドーム」に、あるいは「核なきドーム」に、それとも「二度とドーム」……。生き残るみんなの生活の中から、どんな呼び名が誕生してくるのか。

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