吉田戦車「日本語を使う日々」

第七回 「勝負師たちの昼食」

第七回 「勝負師たちの昼食」

 「負けめし、勝ちめし」という言い方が好きだ。
「熟考の末にたのんだメニューが、当たりだったかはずれだったか」
という程度の意味である。
 自炊や、家族が作ったものに勝ち負けを感じることはあまりなく(たとえおいしくなかったとしてもだ)どちらかといえば外食にともなう感情なのだろう。
 店との勝負。そしてその店で食うことを選択した自分との勝負だ。
 ドローか、やや押されぎみ程度の勝負ならよいが、完膚なきまでにたたきのめされることもあり、日々外食者は闘技場にいるわけである。
 と、ここまで書いたら、さっそく気になる日本語がありました。
完膚なきまで」。
 完膚ってなんだ?
 
 さっそく辞書をひいてみたら、
「傷のない完全な肌。転じて、痛手を受けていない部分」
 とあり、文字どおりの意味だったわけだ。
 完膚なきまでにたたきのめす、とは、「無傷の部分がないほど徹底的にやっつける」といった意味であり、なにやら戦国時代を思わせる荒々しさであるが、完勝、圧勝の気配は伝わってくる。
「なきまで」と常にいっしょに使われる完膚だが、もっと明るく、たとえば女湯で「あら完膚」「奥さんこそ完膚」みたいな色っぽい使い方をしてもいいのではないだろうか。

 先ほど私は近所の中華料理屋でチャーハンを食べてきたが、勝ちめしだった。
 少ない油でぱらりと炒められた、玉子、チャーシュー、ネギのみのシンプルでうまい焼きめし。すっきりしたネギスープと、キュウリと大根のぬか漬けがついて650円。
 完全な勝利であり、仕事にも身が入ろうというものである。ちなみにこの店にはかつてラーメンで敗北しており、リターンマッチであった。
 しかしよく考えてみると、私の勝利=店の敗北ということは、うまいものをつくればつくるほど負けということなのか? という疑問も出てくる。
 まずいふざけたものを出す店が勝利者、というのは納得できず、ここで自分が考えちがいをしていたことに気づく。
 店は対戦相手ではない。
 あくまで自分との戦い。経験と直感と観察力のすべてを総動員して臨む、おのれ自身との立ち合いなのだ。
 たとえば、おいしくてとても感じのいい蕎麦屋だって、蕎麦をすすってる鼻先にとなりの席からタバコの煙が流れてきたら、それは負けめしだ。
 吸う人を非難する筋合いではなく、残念ながら「時の運」が自分になかったということ。そういう場合もあるということだ。
 このように「勝ちめし、負けめし」の概念は非常におもしろく、新たなる戦いを求めれば求めるほど負ける確率も増えてくるが、戦えるうちに戦っておきたいと最近しみじみ思う。敗北のダメージは舌や胃に重いが、まだその痛みは心地よさをともなっている。
 ある人間にとっての勝利の条件が、別の人間にとっては敗北になることもままある。
 一番わかりやすいのは「量」であり、丼物をたのんだらごはんが1.5合も入っていた時など、大食いの人には大勝利だろうが、ノーマルな胃の人間にとっては残すことが敗北感につながる。
 それと似たようなものに「並、中、大がみんな同じ値段」のつけ麺店がある。
 並盛りでじゅうぶん満腹な私は、大食いの人より確実に損をしている思いが常につきまとい、打ちのめされるような思いで、となりの人の牛に食わせるような麺の山を見つめることがある。
 この話はもういいですね。
 切り上げつつ、次の日本語が気になった私である。
のめす」。
 たたきのめす。打ちのめす。洒落のめす。などの「のめす」であるが、あらためて気にしてみると、どういう意味だろう。
 辞書を引いてみると
「徹底的にする」
とあった。なるほど徹底的に打つ、たたく、シャレる、か。
さらに古語辞典には
「他の動詞に添えて、むやみにその行為をする意を表す」
 などとも書いてあった。なんだかやりすぎているような感じ。確かにそのとおりだ。
「つんのめる」や「のめりこむ」「前のめり」などの「のめる」と、語源はいっしょだろう。「前へ倒れる」という意味が、徹底的な、前へ前へと行きすぎるありさまに変化している。
 月産数百ページなどというマンガ家さんの話をたまに聞くが、描きのめしている、という感じだろうか。
 疲れ切った日の夜、ふとんを前に「思いっきり寝のめしてやる!」などと宣言するのもいい。

 負けるといえば「値引く」という意味での使用も味わい深い。
 先日、友人が旅行先の青森で
今回の一枚(クリックすると大きく表示します)「恒例 まける日」
 と赤々と書かれた貼り紙の写真を撮ってきた。見せてもらったが、一瞬意味がわからず、商店街、お買い物という文字でようやく理解した。「昔からの評判のまけくらべ」とも書き添えられていて、負けくらべってのがいいですよね。
「ちょっとまけてよ」
「おまけします」
 などというのは、売る側が少々損をする、という意味で負けなのであり、「負けるが勝ち」的な、明るくしたたかな商魂が感じられて、いい日本語である。
 菓子などについている「おまけ」はいわば「お敗北」であって、飲食しておまけで遊ぶたびに我々は勝っているといえばそうなのだが、実は自分の物欲に負け、メーカーの企業努力に負けている。
 努力といえば、値引くこと、サービスすることを「勉強する」ともいうが、なんとなくソロバンをはじいている感じがあり、まける、おまけする、のほうが日本語としては温かい。

第七回 「勝負師たちの昼食」