吉田戦車「日本語を使う日々」

第九回 「刑事ドラマのあの部屋で」

第九回 「刑事ドラマのあの部屋で」

【前回のあらすじ】
春、花粉症対策でよれよれのパーカを羽織り昼過ぎの雑踏を歩いていた「私」(※吉田戦車のこと=編集部注)。キョロキョロして(※ネタ探しのためか?=編集部注)不審だったため警察官から声を掛けられ、キーホルダーとして使用していた小型の万能ナイフが軽犯罪法違反であることを指摘される。警察署への同行を求められる「私」だが、美容室(※床屋ではない=編集部注)の予約があったため、後日、よれよれのパーカを着て出頭する約束をし、ナイフを預けて、交番をあとにした。
※詳しくは、前回の「しょっぴかれて、春」をご覧ください。


 交番にチビナイフをあずけたあと、予定通り美容室にむかった。
 途中、通りかかった登山用品店で真っ赤な薄手のダウンジャケットを買ったのは、やはり気が動転していたからだろうか。
 黒と赤があったのだが、黒い上着は持っているし、もう春だしと思い、赤を買ったのだ。あとで妻の伊藤に爆笑されたが、後悔はしていない。
 髪を刈られながら、服装は職質を受けた時のものでくるように言われたが、散髪は禁じられなかった、という話になり、パンチパーマをかけようとか赤く染めようとかいうプランも出たが、やめておいた。
 私にとって警察は、積極的に関わりたくはないが、何かあったら全面的に協力したい、そういう存在だ。
 多くの人々と同じく、私も理不尽で残酷な犯罪を心の底から憎む。犯人を捕まえるために先頭にたって働くのは警察官であるのだから、ご苦労さまです、と思いこそすれ「マッポがよぉ」などと思うことはまずないといってよい。
 マッポ(警察官)。
 このスラングを文字に書くのは初めてかもしれないし、使ったことも、あるのかないのか記憶にはない。会話に出るようなワルな生き方はしてこなかったので、若いころにシャレで使ったとしても数えるほどだろう。
今回の一枚(クリックすると大きく表示します) 語源はなんだろう。末法思想? ちがうだろうな。
 インターネット内のものしりな方々の力を借り、ざっと検索した結果をここに引用させていただきますと
・待つ(張りこむ)ポリス、から。
・ポリスマンを逆さにしたマンポリス、から。
・明治の警官は薩摩出身者が多かったので、薩摩っぽ、から。
 などなどの諸説があるという。すごくおもしろい。ありがとうございました。

 翌日、翌々日とスピリッツのマンガを描いた。原稿を受けとりにきた担当編集者に、今日これから出頭する旨を話す。
「めったにできない取材として、ひと暴れして手錠かけられたり泊められたりぐらいすべきだろうけどなー」
 などと笑ったが、もちろんそんなことはしない。
 二日前と同じパーカを着、ザックをせおい、ジーンズをはいた。
 さすがに緊張しているのか、服を着る順番がめちゃめちゃだ。
 同じズボンと上着とカバンの組みあわせがつづくことなどしょっちゅうなのに、なにやらみじめな気持ちがある。買ったばかりの赤いジャケットを着ることは許されないのだった。警察の前まで赤い服で行って、入る前に着がえるということも考えたが、そんなことをする必要はないような気もした。
 午後5時、警察署のある街にむかう。
 時間をつぶすため、署のまわりをうろうろし、ビルの裏にとんかつ屋を発見。立地的に、取調室で出されるというカツ丼は、ここから出前されるのではあるまいか、と推理した。
 気がゆるみ、油断していたといっていい。
 午後6時直前となった。
 棒を持った門番のおまわりさんに声をかけ、受付に行く。
「地域課の○○さんと約束があるのですが」
 前々日に交番で教えられた名前をいう。
 ○階に行ってください、と、黄色い粘着テープを渡される。どこにでもいいから見えるところに貼ってください。つまり、署員ではない来訪者のしるし、ということらしかった。
 一階エントランスにたむろする屈強そうなおっさんたちを横目で見ながら、エレベーターに一人乗りこむ。
 エレベーター内部の写真ぐらいは携帯で撮ろうかと思ったが、万が一カメラで監視されていて、あとで「ちょっと」などと言われるといやなのでやめた。しっかりとビビっており、ひたすら平身低頭する気まんまんである。
 地域課というのは、つまりはおまわりさんの詰め所であった。席数はたくさんあったが、10人前後の制服警官が何か話したり、仕事をしたりしていた。出入りもはげしい。「大久保のケンカに行ってきます」などという言葉も聞こえる。
 廊下で声をかけた警官が奥に案内してくれる。詰め所である大部屋に、小部屋が何部屋か隣接しており、そのうちのひとつに入った。いわゆる取調室なのだろう。
 ドアは開けっぱなし。最後まで閉じられることはなく、窓を背にすわった私の目には、常に大部屋の様子が入ってきた。
 はじめは目の前に案内の警官がすわり、おや、偶然声をかけたこの人が担当さんか? と思ったが、やがて、約束の○○氏が入ってきた。濃い顔。50代か。まず、私の横顔を見るような位置に腰かけながら
「まずいよあんた、こんなの持ってちゃあ」
 と、開口一番。
 カッとなった。
 あとで考えると、カッとさせるために作られた言葉なのかもしれない、と思った。
「こんなオモチャで何ができるってんだよ、ええ!?」
という言葉を引き出し、次につなげるためのセリフ。そのやりとりの中で、何かに気づくこともあるのかもしれない。
 映画『ブレードランナー』で、人造人間レプリカントを識別するための質問として、わざと感情を逆なでするような問いを発する、あれに似ていた。
 言葉にはせずに、押し黙った。「はい、次は?」という気持ちを精いっぱいこめた。
 ○○氏が正面にすわりなおし、2時間に及ぶ取り調べが始まった。

 テキパキとやれば、1時間弱ですむ作業だろう。メインの仕事は「調書の作成」であるのだが、無駄話、パソコンデータへのアクセスの滞りなども含めて、2時間かかった。そのくらいの時間をかけるように、というきまりがあるのかもしれない。
 テキパキの語源も諸説あるようだが、感じが出ているいい日本語だ。ただ、今は訓戒、すなわち「お叱り」の意味もあるのかもしれない時間。テキパキの反対の、もたもた、だらだらといった感じで作業は続いていく。
 覚えている日本語は次のようなもの。
「こういうものでも、のどを突いたり、横になぎはらったりすれば人は死ぬ。そうでしょう?」
「特にね、こんな物騒な街で持つことを見逃すわけにはいかないんだよ。このせまい街にヤクザが4000人いるんです」
「確かに便利だろうけどな」
「今年に入って職質で覚醒剤の売人も何人か引っかかってるの。いかにもその筋なんて見た目の売人はいないから」
 従順に話を聞き、きかれたことに答えた。
 警察の検挙数かせぎ、といううわさも聞く。だが、麻薬の売人云々が本当であるなら、それに協力するのはやぶさかではない、とも考えた。
 最終的に愛用の「ナイフつき多機能ツール」は無事もどってきた。人によっては親の形見と言ったのに返されなかった、というケースもあるようであり、私は幸運であったというべきか、おとなしくしていてよかったというべきか。
 しっかりと指紋を採取され、写真も撮られたが、放免となった。その後検察からの呼び出しもきていない。あまり気持ちのいいあと味ではないが、まあしょうがないと思うしかない。
 ペンネームも、どこでどういうマンガを描いているのかも、一切きかれなかった。そんなことに興味はないし、記録する必要もないらしかった。私の肩書は代表取締役。ささやかな個人事務所であるが、社長であるからにはそうなるのだった。
 晩飯は、とんかつ屋に入り、「うめえ」などと大げさに言いながら、もちろんカツ丼を食べた。

第九回 「刑事ドラマのあの部屋で」