吉田戦車「日本語を使う日々」

第十一回 「色々学園の艶々先生」

第十一回 「色々学園の艶々先生」

 かつてビッグコミックスピリッツで『学活!! つやつや担任』という学園マンガを連載していた。
 私立高校「いろいろ学園」に勤務する教師、つやつや先生が主人公のマンガであり、いろいろ学園は、いろいろな生徒や先生がいるから、そう名づけたのだった。いやすみません、くだらなくて。
「いろいろ」はまさに「色々」であって、様々な色が世の中にあることから来ている日本語だろう。
 つやつや先生は、漢字で書くと「艶々先生」になってしまい、まるでちがうキャラクターみたいでギョッとする。女性教諭っぽいというか。しかし「豊かな色」で艶というのは「色々学園」の教師として、まるで仕組んだかのような符合ではないか! ということに今気づき、昔の自分になんだか感動している。
 ムダな感動はほどほどにして、そういえばキーボードで文章を打つ時代になって、様々、とか担々麺、とかの「々」は、なんて読むんだ、どう打てば変換するんだ? と疑問に思った経験、みなさんございませんか?
 私はあります。
 今回の一枚(クリックすると大きく表示します)それまでは、打つ必要がある場合は「少々」などを変換させてから「少」を消す、そういうやり方でしのいできた。同じやりかたの人も多いかもしれない。
 しかし初めてパソコンを購入してから10年以上たってようやく「これは何か固有名詞があるのではないか」という疑問が生じ、ネットの力を借りて調べてみて「おお!」と手をたたいた。
 これもまた文字入力ソフトによってちがいはあるようだが、「同」という意味から、「オナジ」「ドウ」と打ちこめば変換できる、ということだった。「〃」もそうだし、他のくりかえし記号も変換できる。
 PCにくわしい人に失笑されそうな初歩的な知識かもしれませんが、とてもスッキリした気分です。

 「いろいろ」のような、反復語というのか、そういう言葉で気になっていたものとして「おずおず」がある。
 初めての食堂や酒場などに入るときに、日常的に味わう感情であり、もちろん「ごめん!」とか「たのもう!」などと叫びながら堂々と店に入る、道場破りのような人もいるかもしれないが、私の場合はたいていおずおずと入る。
 おずおず、は「怖ず怖ず」であって、漢字にすると自分がすごい怖がりみたいでいやになってしまう。「おどおど」はおずおずが転じたものだそうで、ますます情けない気分になるが、生物が生きのびるために身につけた本能の一つかもしれず、大事にしたいと思う。
 物怖じしない子、というとたくましい感じがしてたのもしいが、物怖じする大人もまた、危難を避けるためのアンテナが発達した、闘わずして勝つ達人のようなものかもしれないのだ。
 むなしい弁護はおいといて、しかし今では時代劇でしか使われないとはいえ「たのもう!」というのも味のある日本語だ。
 他家を訪れる際に「あるじへの取り次ぎをたのみたいのですが」というような意味だろうか。「もう!」と伸ばすところに、昔の日本の余韻がある。「おたのもうします」の略だとしたら、ていねいさから乱暴さへの変化の度合いがすごすぎる。
 柔術家、剣術使いなどを連想しがちだが、他家への訪問時のあいさつに、もっと普通に使われていた言葉なのかもしれない。
 いろいろ、おずおずなどとは少々ちがうが「気になっていた言葉メモ」をめくってみると「好き好んで」という言葉が出てきた。
「好」が重なっていて、ものすごく好きそうだが、「好き好んで食糧自給率を低くしてるわけじゃないんです」などのように、否定的な意味で使われるのが普通である。
「私はあなたを好き好んでいます」
「寿司で好き好みなのはイカです」
「蚊は汗っかきな人を好き好む」
のようにはあまり使われず、さびしい日本語といえる。
 ただ、どのようなジャンルであれ、マニアやオタクの世界には自嘲気味な「好き好んで」がつきまとうわけであり、私などはヒーロー映画を一人で観るときに、子連れのお客さんに対して「はい、いい歳して好き好んで観にきてます。それが何か」的な気持ちになることがある。
 好き好んで、が肯定的なほうに生きている例といえる。

 せっかくだから「堂々」についても考えをめぐらせてみよう。
 堂々は「立派で、力強く、臆するところのないさま」であるわけだが、まさにそれは「お堂」の立派さから来ているのだろう。
 神仏を祀(まつ)る建物がお堂であり、洋の東西を問わず、かなり立派で力強く威厳に満ちあふれている印象がある。
 大きくなくてもありがたいものであり、よく自宅の庭のすみっこに祠(ほこら)を建てている人がいるでしょう。いや、もともとあったところに家を建てたのかもしれないけど、あれがある家のお父さんには
「お堂を所有している、堂々たるおれ!」
という気持ちが、少しぐらいはあるのではないだろうか。
 すごく皮肉な言い方をすれば、宗教というのは国家権力と分かちがたく結びついているものであり、庭にお堂があるというのは、ちょっとした権力者気分を味わえるということなのかもしれない。いや、単純に信仰心で祀っているのが大部分だとは思うけれど。
 私は稲荷神社が好きで、今も仕事場には陶製の小さいお稲荷さんが二対飾ってある。手を合わせたりはしないし、信仰心というようなものではないのだが、こういう神様がいらっしゃる気配を想像する行為には、なにやら心安らぐものがある。堂々たる権力者の気分にはならないが、いいものです。
 お稲荷さんの何が好きかというと、妖怪や精霊の性質を濃厚にとどめていてなお、信仰の対象であるというところだろうか。化かしますからね、彼らは。
 かつて狐狸妖怪のたぐい、などといわれた「もののけ」に手を合わせる場所が、そこら中にあるというのはうれしいことだ。

第十一回 「色々学園の艶々先生」