吉田戦車「日本語を使う日々」

第十六回 「趣味の手ぶら」

第十六回 「趣味の手ぶら」

 久しぶりに、人生2度目の軽いぎっくり腰になった。
 快方に向かってはいるが、イスやしゃがんだ状態から立つときは
「……よ…っと」
 という感じに慎重に腰を伸ばすような状態が続いている。
 原因は自分だ。
 いつもは腰痛持ちではないのだが、安いOAイスの座面がどうにもヘタレてきて、健康ざぶとん的なものを買って座ったり腰にあてたりしているうちに、慣れないその行為に腰がぎっくりした。
 ごく軽症であり、歩いたり自転車に乗ったりはできていたが、どうも自転車はよくないぞ、という実感があり、当分の間断つことにした。
 となると、気晴らし兼運動の方法としては歩くことしかなくなる。
 問題はカバンだが、ショルダーバッグはどう考えてもあまり腰によくないだろう。左右均等に荷重をかけたい。
 そう思ってデイパックをひっぱりだしてしょってみたのだが、きちんと胸と腰のストラップを締めないと、逆に変な力が加わり、腰に負担がかかることを発見した。
 まさによくいわれることだが「月(にくづき)」に「要(かなめ)」と書いて腰だ。
 カバンという荷物を持つことを、基本的に腰は拒否しているのであった。腰が痛い今、そのことがよくわかる。
 登山の時のようにきっちりしめれば多少は楽としても、街のゆるい散歩でそこまでするのはちょっとしんどい。
しんどい」というのもしんどさが出たいい日本語だが、しんどいのはいやだ。
 そこで思いついたのが、ふだん外出するときにはまずやらない「手ぶら」を、意識的にやろうということだった。

 まず、サイフをカバンからとりだしてみた。
「二つ折り小銭入れつき、カードベラがついてカード大量収納」というタイプで、はっきりいってぶ厚すぎて尻ポケットには入らない。
 カードベラ、という専門用語も調べて初めて知ったよ。
 第9回『刑事ドラマのあの部屋で』で、気が動転して買った赤いダウンジャケットを着ているのだが、小さい胸ポケットが二つあるだけであり、サイフを収納することは不可能だ。
 古い薄手のサイフをひっぱりだして交換し、ジーパンの右尻ポケットにさした。左には普通にハンカチ。
 尻にも右、左の「利き尻」があるのだろうか。サイフが左ではなぜかおちつかない。それは体のゆがみなのか? などという怖いことも少し考えた。
 携帯とティッシュは胸ポケット。いざというとき用として、レジ袋をたたんでジーパンの前ポケットへ。リップクリームもそのへんにつっこんだ。
 手帳、手袋、デジカメ、USBメモリなどが入った小物入れ、文庫本、折りたたみ傘、液体が200cc入る水筒などはすべておきざりにすることにした。
 置いて去る。文字どおりちゃぶ台の上に置かれた愛用の品々と目を合わせないようにしながら、あわてて仕事部屋を去った。
 軽い。
 身も心も軽い。腰はもちろん楽ちんである。
 楽ちんに対しての「苦ちん」というものを4コマで描いたことがあったが、そんなこともどうでもいいほどに、気分は浮き立つのだった。
 少年時代、ランドセルから解放された放課後のような……などといったら大げさすぎるだろうか。しかし、外出時には常にカバンとともにあった腰は、本当にはっきりと喜んでいた。
今回の一枚(クリックすると大きく表示します) 電車内で文庫本がないのはさびしいが、仕事のことを考えてヒマをつぶすことにした。何か思いついたら携帯のメモ機能を使うのである。
 初めてではないと思うけど、もしかしたら十数年ぶりの手ぶら電車。体重がかたよらずに立てている気がして、やはり腰が楽なように思えた。
 吉祥寺に到着。
 繁華街を手ぶらで歩きまわってみたくて選んだ街だ。尻ポケット用に新しい薄手のサイフを買ってもいいな、とも考えていた。
 道ゆく手ぶら仲間は、いないわけではないが、圧倒的に少ない。
 スーツの人は手ぶら者が多いような先入観があったが、今はほとんどの人がカバンを持っているように見えた。
 気分の軽さと相反して、なんだか世の中からはずれたアウトロー的な気持ちもちょっぴり感じてきた。いわゆるヤクザ業の人たちは、映画や漫画のイメージでは手ぶらが多いよな。
 だが人ごみを抜ける時に、手ぶらのよさはさらにはっきりした。前後左右に人をよけながら進む、そのフットワークが軽く、動くカバンがないので腰には負担がかからない。
 やっぱりいいことだらけだ、手ぶら。
 デパートの暖房が暑くて上着を脱いでも、カバンと二つで手がふさがってしまってイラだつこともない。
 食べもの屋に入ってカバンの置き場所がなくて困ることがあるが、それもないのだ、と思ったら急におなかがすいてきて、何度かきたことがあるラーメン屋に入り、カレー味タンメンを注文した。
 カバンは横のイスにふつうに置けたため、「置けなければ手ぶらの実力を発揮できたのに!」などとちょっとがっかりしたのだが、タンメンはカレー味でおいしかった。

 ピンとくるサイフは見つからず、少々疲れてきていたのかもしれない。
 手ぶらのすばらしさを実感しながらも、店内の鏡の中の自分の姿が目に入るたびに、なんとなく、ちょっと違和感をおぼえてきた。
 なんなのだろうか、と思う。
 裏口から商品を搬入すべき人が、まちがえて店内に入ってきたとでもいうか。いや、それにしては服は赤すぎ、いちおう配送スタッフには見えないのである。
 いつものジーンズ、スニーカー、フードつきパーカ男。手ぶら。
 あっ、と思った。
 小学生が、ランドセルを忘れて登校したように見えるのだ。
 放課後ではなく「登校時」に見えてしまうのだった。
 ムダな自意識がそう感じさせるのだと思うが、「あー、吉田またランドセル忘れてきたー」的なマヌケ感が、いい大人としての違和感の原因だった。
 自分にとっての放課後のイメージは、岩手の自然豊かなものだった。デパートなどではなく、井の頭公園にいけばよかったのだ。
 なんとなく気落ちして、なにも吉祥寺で買わなくてもいいニンジンやジャガイモを買ってしまった。
 一瞬で手ぶらの快感は消え、片手にずしりとビニール袋が重い。
 ストリートファイトにおいて素手の格闘家が相手に圧倒されて、ついそのへんの棒などを持ってしまったときに、こういう気持ちになるのかもしれない、と思った。

第十六回 「趣味の手ぶら」