吉田戦車「日本語を使う日々」

第十七回 「餅として、糯として」

第十七回 「餅として、糯として」

 私は餅である。
 今回は、連日の新年会でダウン中の吉田にかわり、私自身が「私とは何か」を考えてみることにしたい。
「モチ」という、もっちりした体質をみごとに表した訓読みで読まれる私だが、音読みでは「ヘイ」となる。
 このアメリカンな音読みを私は気にいっている。
「ヘイ、そこの彼女、踊りに行かない?」などという雰囲気があり、餅ゆえになんとなく例えが古くさいのはお許しいただきたいが、気にいっているのだ。
 ザ・ビートルズの『ヘイ・ジュード』も
「ヘイ、ジュード、さびしいときは餅でも食いなよ」
 という歌であり、さすがはポール、うまくシャレた歌詞を書くなあ、と思ったことを覚えている。(吉田注:そんな歌ではありません)
 そういえば、せんべいも私である。
 煎った餅と書いてせんべい。薄っぺらくて固いが、私の一形態であるといえ、変形戦闘ロボットに例えるなら陸戦モードが私、空中戦モードがせんべいであるというふうに考えてもらってもいい。
ゆべし」も柚餅子と書くので私なわけだが、もち米以外の材料で作られた私にまでふれていては話が長くなるので、もち米の私のことだけを考えることにしたい。

 しかし、もち米。
 私を構成するこの原材料のことを考えると、いつも不安になるのだった。
 例の事故米、汚染米が食品に使われた事件のことではありませんよ。あれももちろんあってはならないこととして不安だが、私を不安にさせるのは「もち米」の漢字についてなのだ。
今回の一枚(クリックすると大きく表示します)「糯米」と書く。
「餅米」ではないのである!
「私は糯なのか、餅なのか、どっちなんだ!」と、ずっと思ってきた。
「需」には、漢和辞典には「もちいる、もちう」という読み方もあるとあり、そこから来ているのだと思うのだが、おちつかない。
 だが、いろいろ調べて考えるうちに、その不安は消えていった。
 単にもち米を蒸しただけのものは、おこわや赤飯、すなわち「加熱した糯米」ではあるけれど「餅」ではないわけである。
 つきつぶされて穀物の形がなくなって初めて「餅」という漢字にふさわしい私になるわけだ。
 中国の餅(ビン)は、もち米を使わない、まんじゅうも含む「小麦粉をこねて丸く形どり、加熱したもの」なのである。
 ならば、もちもちした糯米で作られた日本の私は、その体質ゆえに海を渡ってきた餅(ビン)の字をあてられた存在であることを誇りに思えばよい。
 そう考えるようになり、気持ちが楽になった。

 さて、吉田と私のなれそめでも書いてみるか。
 吉田の記憶にはさすがにないようだが、満1歳の誕生日に、いわゆる「餅おい」を、家族や親戚に祝ってもらっている。
 夏ではあったが母方の祖父母の家で一升餅をついてもらい、背負わされて泣きわめいていた。
 吉田もいやだっただろうが、私だって暑苦しかった。
 吉田の記憶に臼と杵を使った餅つきの光景はないようだ。祖父母宅でそれらを使っていたのは吉田の幼少時のみ。
 臼の底の木の節が抜け、もち米がくっつくようになってしまい、かなり早くに餅つき機が導入された。
 高齢化が進む中、しょうがないことだとは思うが、電動餅つき機の普及は私にとっては若干さびしいものである。
 電力より、やはり人間の筋力で私になったほうが、パワーがみなぎるような気がする。それは霊力のようなものといいかえてもいいかもしれない。
 幸福を願ったり邪気を祓ったりする思いをこめて、大地に人間の力をたたきこむ。心拍にも似たぺったんぺったんした行為こそが、私を作る神髄といっていいのではないだろうか。

 吉田が臼と杵で私をつくのは、成人してかなりたってからである。
 友人たちが集まり、最初はレンタルですべての道具を借りてついた。のちには餅つき会場となっている友人宅に、結婚の祝いとしてみんなで臼と杵を買い、今に至っている。
 毎年正月に餅つきをするのだが、参加レギュラーメンバーで一番上手なのは、柔道をやっていたG君である。
 吉田が
「妬ましや餅番長の技と腰」
と詠んだそのつきっぷりは確かにすばらしく、私をつく日本中の名人たちの中でも、かなりの上位に入る腕前だ。
 剣道をやっていた吉田は、はっきりと上手ではない。
 固い。
 剣も杵も振り方の基本は同じだろうに、剣道のほうもろくな精進はしてこなかったことが、餅つきのフォームからよくわかる。
 そんな吉田は、今年初めて「合いどり」を経験した。
 つき手がつく合間に、私の表面に手で水分を与えたり折りたたんだりする重要な仕事である。
 愛妻の伊藤がつくことになり、愛妻にならば手をつぶされても本望だろうと、友人たちが強要したのだ。
 ハラハラしたが、初めてにしては餅つきよりは上手にできており、ちょっとだけ見直した。

 昨年暮れには、かわぐちかいじ先生宅で毎年行われている餅つき忘年会にも、吉田は伊藤に連れられて初めて参加した。
 毎年多くの編集者や関係者が集まる、盛大な餅つきである。吉田はそのイベントよりも、仕事部屋を見せてもらったことに感動しているようだった。
 ここで吉田は伊藤と初めて2本の杵で交互につくという、めおと餅の体験をした。それなりに無事につけていたが、終了となり吉田が止めた杵の上に、愚妻の伊藤が杵をたたきつけ、夫婦関係が不安な一年のしめくくりとなった。
 このように、臼と杵を使った餅つきを、平均的な日本人よりは楽しんでいる現在の吉田だが、あいかわらず「餅は正月のつきたてのやつだけでいい」などとほざき、私を悲しませている。
 甘味処と無縁の吉田はお汁粉を食うこともないし、そば屋で力そばや力うどんをたのむこともしない。
 日本の農業を大事にしないと、などと思う気持ちがあるなら、一年に食う麺類のカロリーの3分の1でもこの私にあてろといいたい。

第十七回 「餅として、糯として」