吉田戦車「日本語を使う日々」

第二十二回 「猫でできた犬」

第二十二回 「猫でできた犬」

 私が描く犬は、猫でできている。
 ……えーと、それはどういう意味ですか? という声が聞こえるようだが、つまり
「私は犬を飼ったことがない。犬のことをあまりよく知らない」
 ということだ。
 私がよく知っている唯一の動物は、猫だ。
 もちろん『イヌ科の動物』『犬を初めて飼う人のための本』などという資料はある。犬のフィギュアすら持っている。ギャグ漫画に出てくる犬は骨格なんか正確じゃなくてもいいわけだが、資料を見た上でいいかげんに描くのと、なしで描くのとではえらいちがいなのだ。
 そういう写真や立体をモデルにして、今まで多くの犬キャラを描いてきたが、これは本当の犬じゃない、という思いが常にある。今回の一枚(クリックすると大きく表示します)
 手や足や胴体、あるいは耳すらも、猫を思い出しながら描いている。思い出すというか、無意識に、あらゆる四つ足哺乳類のベースが猫になっているというべきか。
 犬だけではなく、馬や牛も猫の影響下にある。ライオン、トラなどネコ科の獣はもとよりだ。象はさすがにちがうかもしれないけれど。
 いつも「ここが肘かあ」などともてあそんでいる猫の体つきを基本形として、ほとんどさわったことがない他の動物を想像して描く。いきおい、馬などあまり速くなく馬力もなさそうな感じになるが、しょうがない、猫をベースにしてるんですから。

 それほどにつきあいの深い猫だが、自分が「猫を飼うぞ」と思って飼ったことは一度もない。
 高校を卒業して家を出て、お盆に帰ったら猫がいたとか、連れ合いが飼っていたとか、常にそういう感じで猫は近くにやってきた。自分でひろったりもらったり、ましてや買うなどしたことはない。
 今の猫は妻・伊藤理佐の連れ猫であり、漫画のキャラとしても有名なニャコとクロである。今はこの2匹の実感をたよりに、紙の上に犬を描いている。
 そして猫をモデルに犬を描くのと同様に「日本人をベースに、あまりよく知らない外国の人を」描いている。
 絵がうまい人は、アメリカ人、フランス人、イタリア人、ドイツ人を描きわけることができるのだろうが、私が描くのは一律「いわゆる白人の外人さん」にしかならない。しょうがない、ベースが日本人なんですもの。
 あとあれだ。若者。
 携帯持たせたり、いっしょうけんめい制服のスカートを短く描いたりするが、しょせんはつけ焼き刃、私が描く高校生はすべて、1980年前後の自分の同級生などをベースにしており、それが思いっきり絵に出ていることは自覚している。現代のヤングのリアルな青春などを描く漫画家じゃなくて本当によかった。
 と、なにやらプロっぽいことを語っているが、本来の猫の絵もなんとなく「本当に猫と暮らしてんのか?」というようなものであることは、認めなくてはなるまい。
 猫の柔軟さ、やわらかさがまるで描けない。体が固く、自分のお尻や背中をなめたりできなさそうである。
 だが、それでいい。私が描くかわうそがカワウソであるように、私が描く猫も立派なネコである。私がそう信じなくて、誰が信じてやるというのか。
 つきあいの深い猫の中で唯一オスなのが、ニャコだ。
 やつと初めて会った時、ちょっと自分を再発見するような、おもしろい気持ちの動きがあった。
「男、やだ」
 そう思ったのである。「女、かわいい」と、そう感じたのであった。メスのクロのほうがかわいい。何こいつオス? こっち来るんじゃねえよ、などという気持ちがたしかにあった。
 慣れない初めてのオス猫であるにしても、これほどまでにはっきり自分が女好きとは知らなかった、と思った。
 ニャコはきわめて人なつっこく、少々ウザく感じられるくらい「愛されたい」志向が強い。人間に愛想を振りまくことなく超然と外などながめていれば、私もその雄々しさに好意を持ったかもしれないが、ニャコはそれとは正反対の猫だった。
 すぐに人の上に乗ろうとし、人と人の間に割りこもうとする。前足を膝の上あたりにかけ「ねえねえ、ぼくを愛さない?」とでもいうように爪でニギニギもむ。痛い上にその甘えた態度が腹が立つ。
 オスのくせになんだ、男ならしゃんとしろと、私は杓子定規に思ってしまったようだった。

 共に暮らすうちに、ニャコがそれだけの猫ではないこともわかってきた。
 王子様気質ともいえるわがままさも少しずつおもしろく思えてきて、「しょうがねーなこの小僧は」というような、やんちゃな少年に対する好感のようなものに変わっていった。
 2、3日旅行で家をあけた時などは、トイレじゃない場所に抗議のウンコをされている。それはたいていニャコのしわざであるということだったが、それできらいになるようなこともなく、我々はこの家の男どうしとして、つかずはなれずうまくやっていた。
 寡黙で無骨だがいちおう女の子であるクロのほうを気持ちとしてはかわいがっていたが、平等にしないとニャコがいじめるので、平等にかまった。
 
 新緑が濃くなりはじめてからニャコはちょっと体調を崩し、ずいぶんおとなしくなり、逆にクロがやかましくなった。よく鳴き、よく甘えるようになった。 
 クロを知る多くの人がおどろいて
「クロは性格が変わった」
 というらしい。
 ニャコはすっかりおじいちゃんっぽくなった。少年から一気におじいちゃんに、そういうふうに見える。
 この世に永遠に変わらないものはないわけで、今はその変化した猫とのつきあいを思いっきり享受しておこうと、がんばって毎朝出勤して夜帰宅する生活を続けている。以前は仕事場に週2日以上泊まりこんでいたのだが。
 ニャコがなついてくることをうとましく思ったことがあったなんて、嘘のように思える。

第二十二回 「猫でできた犬」