吉田戦車「日本語を使う日々」

第二十三回 「悲しみと私」

第二十三回 「悲しみと私」

 幸いにも、足もとが崩れ落ちるような深い悲しみに見舞われたことはまだない。
 肉親の死は今のところ祖父母にとどまっているし、親友といえるほど身近な友の死も、まだないといっていいだろう。
 プチ悲しみ、などといってはあれだが、前回書いたオスネコのニャコが、数日前静かに息をひきとった。
 そりゃあ、悲しい。
 が、それはつきあっておおよそ3年分の悲しさであり、泣いたけれども一瞬だった。子猫の頃からつきあってきた伊藤の17年分の悲しみとはレベルがちがう。
 それでも、ニャコの死は、久しぶりに感じる「別れの悲しみ」だった。
 それまで生きていた肉体から魂が離れて(あるいは消えて)いく瞬間。それは悲しいことであるとともに、おごそかな、とでもいうしかない時間であった。
 不慮の死ではなく、早すぎる痛ましい死でもない。大往生というのはありがたいものだ、と思った。

 悲しみの本質は「別離、喪失」であり、そんなものをテーマにしていては文面が暗くなるばかりだ。ちょっと方向転換する必要がある。
 明るい悲しみ、というか、他人事として笑えるレベルの悲しみも世の中にはあり、そっちのほうを探ってみたい。
 私が覚えている最初の悲しみは、保育園児の時のものだ。今回の一枚(クリックすると大きく表示します)
 冬になると弁当を温めるため、スチームの加温器のようなものが使われていたのだが、その初日だっただろうか、母がうっかりプラスチックのふたつき容器にご飯をつめて持たせたのだった。
 他の子たちのアルミ弁当は無事だったが、私の弁当箱だけ、高温で無惨にぐんにゃり変形していた。
 泣いた。
 中身もプラスチック臭くて食べられなかったのだと思う。よく怒るので園児たちに恐れられていた用務員さん、通称「おばちゃん」が自分の弁当を分けてくれた、という記憶がある。
 おばちゃんのことは見直したが、人生で最初に記憶した悲しい出来事が、この「食べ物の恨み」であった。
 確か翌年、おゆうぎ会があり、そのときにも悲しいことがあった。
 写真を見ると、郵便配達の格好をして踊っている。コスチュームとしてみんなとおそろいの黒タイツをはかされていた。よく考えれば半ズボンに黒タイツの郵便配達員などいないのだが。
 帰路、コスプレのままの私は不意の便意に襲われた。
 あせって、まだまだ未発達な「我慢力」を総動員して家路を急ぐ私。家と保育園の間は、子供の足で20分ぐらいだろうか。ああ、けなげだ、昔の自分。
 なんとか無事帰宅し、便所の前にはたどり着いたものの、ふだんはき慣れないタイツを脱ぐのに手こずった。
 足にからんだタイツがとれない。
 そして……
 限界を超え、黒いタイツの上にぼとぼとと落ちる悲しみの物体。
 食事中の方には本当に申し訳ないが、なんともいえない情けない悲しさだった。
 泣いた。
 それ以来タイツが大嫌いになり、どんな寒い冬でも、風邪気味で親に強要されても、絶対タイツははかない子になった。
 食べ物とうんこ。悲しみの理由として実に幼児らしく、我ながらすばらしいが、小中高生の時にはさすがにそういう思い出はない。
 では失恋の悲しみのようなものはあったか?
 今だからいえるが、私は転校生を好きになることが多かった。そして転校生というのは、親の都合でまた転校することも多かったのである。
 中学生の頃、二人ばかり好きだった子が転校していった。
 常時2、3人、好きな女の子はいたような気がするが(ふつうですよね)、転校生は「別離、喪失」パターンに当てはまるためか、なんだかきれいな子が多かったような気がする。
 が、つきあっていたわけじゃなし、悲しいというよりそれはせいぜい「寂しさ」だった。ぼんやりとしたヤマトやガンダム好きの中坊が、そこまで本気で異性を好きになったりはしない。
 だいたい、何人か気になる女子はいても、中高を通して「気になる」どまりであり、告白したりつきあったりすることなどなかった。

 そういえば上京してすぐの頃のプチ悲しみを思い出した。
 東北弁が恥ずかしくて、標準語をしゃべろうと必死になっていた頃のことだ。
 喫茶店で「コーヒーください」という、その発音がおかしいと、友人に指摘された。
 故郷でもふつうにコーヒーはコーヒーと発音していたのに、妙に標準語を意識して、英語のイントネーションでコーヒーを発音していたのだった。
「カフィ プリーズ」
のカフィーの発音で。
 悲しいというより哀しいという字がふさわしいような哀しい思い出だ。
 哀しさは最近も味わった。
 夜間の雨で自転車のサドルが濡れており、またがった短パンの尻にしみた。
 たいしたことはないだろうと途中でスーパーに入って買い物をしたが、帰りにミラー状になったウィンドウを見てぎょっとした。
 かなりくっきりと、尻の形に丸く濡れ染みが広がっていたのである。生地が綿100%だったせいか、とてもめだつ。
 濡れた尻で納豆やいなり寿司を買うTシャツ短パンの中年。かなりの哀しさだったと思う。

 ニャコがいなくなったあとの、飼い主である伊藤の様子を見ていると、こいつはうまくペットとつきあってきているな、と感心する。
 悲しくないわけはない。
 ないが、まるで我が子であるかような、そこまでの溺愛はしない分別があるように思う。
 そういえば口癖は「おまえらはネコだなあ」というものであり、常に一線は引いていた。
 たがいに古い人間だということもあるだろう。私の中にも同様の「ネコなんかネズミ捕ってなんぼ。犬は泥棒を追っぱらってなんぼ」的な、可愛い可愛いと祭りあげない距離間が、たしかにある。
 それはもちろん「ネズミ捕らないから捨てちゃえ」というようなことではありませんよ。
 死ぬまで大事にはするが溺愛はしないというのが、人間より寿命が短い連中とのつきあい方として、適切なように思われる。

第二十三回 「悲しみと私」