吉田戦車「日本語を使う日々」

第二十五回 「サルです。ああ甘い」

第二十五回 「サルです。ああ甘い」

 気がつけばこの夏、アイスクリーム、かき氷のたぐいをまったく口にしなかった。
自他ともに認める辛党だが、大人になってからも毎夏数回はアイスを食べていたはずであり、食いそびれた、ということ以外に、何か理由があるような気がしている。
 ここ1年ほどの習慣として、毎朝くだものを食べるようになった。これかもしれない。くだもののさわやかな甘さが、アイスに気がいかなかった原因ではないか。冷蔵庫で冷えていればなおさらである。
 起きたら熱いお茶か白湯と、何かくだもの。夏なので、スイカ、モモをメインに、甘夏、スモモ、メロン、梨などを食べた。
 朝にそういうフルーティな満足感を得ると、日中暑くてもそれほど氷菓を欲さず、夜になればビールを飲んじゃうから入る余地なし、というのはあったかもしれない。
 くだものはどれも好きだが、スモモ類にだけは若干の苦手意識がある。
 甘さと香り、ジューシーさが口中に広がった直後に、皮周辺に存在する刺すような酸味がくる。種類や熟し方により差はあるが、あれが苦手。
柑橘系の、最初から前面に出ているすっぱさとはちがって、甘さの影に隠れた酸味の刺客、とでもいうような気配があり、油断がならない。
 だが、あのぶつりと皮にかぶりつく感じや手頃なサイズに、他のくだものにはない野性味のようなものがあり、なんというか食べている時の「サル気分」は得難いものだ。
「サルです。食えそうな実、見つけました。食べてます」
 他の果物をサルの気持ちになって食べてみると、なんだか畑からコソコソ盗んでいるような気がしてくるが、スモモなら大丈夫だ。
「自分でゲットした感」が大きいというか。

 そういえば、氷菓ではないが、冷たい甘いものなら自分で作って食べた。
 豆かん。
 赤えんどう豆を煮たものとサイコロ状の寒天に黒みつをかけて食べる、素朴な食べ物だ。豆と寒天だから豆かん。日本語ってすばらしい。
 そんなの簡単に自作できるだろう、と思ったら、粉末寒天をなんの味もつけずに固めたものは、なんの風味もなかった。豆は熱々をつまみ食いしているときは妙にうまかったのだが、冷めたら固くなった。
 甘味屋さんのプロの技をナメていたわけで、申し訳ありませんでした。
 黒みつは、好きな甘さである。
 今まで食べたかき氷で一番おいしいと思っているのが、黒みつかけ。こんなうまいかき氷がこの世にあったか、と思った。シロップとして全国的にポピュラーじゃないのがもったいないくらいだ。
スイ」などとも呼ばれる「みぞれ」。やや単調なあの白みつの甘さより、断然黒砂糖のほうがいい。白砂糖をなめても太陽の味などしないが、黒砂糖にはそれがある。風味の向こうに沖縄や奄美大島の空と海が、ハブが、ヤンバルクイナが見える。
 などと思いこむ力が、食べものの味を増すのだと思うのだが、そういう意味ではハチミツというのも、ロマンの甘さだ。

 
花が美しい色彩や形、いい香りや甘い蜜を持つように進化したのは、花粉や種を運んでくれる生き物を引きよせるためだそうだ。
 原始の祖先の目で花をながめてみると、まわりを虫がぶんぶん飛び回っていて、いい匂いはするが近よりがたい。虫、刺すし。刺されると痛いし。
 だが、なんとなくその虫を追っていくと、巣があり、そこには花の匂いがする甘いものがたっぷり。すげー。甘いよう甘いよう。
 そこから様々なサル知恵が発達していっただろうことは想像に難くない。巣に顔を突っこみ、蜜の甘さにうっとりしながら全身を毒針で刺されて死んでいくおバカさんたちの屍を乗り越えて、様々なスキルが蓄積されていく。
今回の一枚(クリックすると大きく表示します)
 花を「甘さをもたらす魅力的なもの」と認識したサル知恵の行き着く先に、好きなメスに花をさしだす瞬間もあったかもしれず、甘いものの存在が我々の祖先をホモ・サピエンスたらしめた、と考えることもできるのかもしれない。
 そういえば、妻の父親は趣味でニホンミツバチを飼っていて、その貴重なハチミツはとてもうまい。ミツバチはなんとなくかわいい平和な印象があるので、遊びに行って気軽に巣に近づいたら、威嚇された。
 明らかに「警備兵」と思われる数匹が、ぶうん、とこちらに力強く飛んできて、うさんくさそうな目を向ける。気配が実戦経験のある兵士のものであり、まったく勝てる気がしない。
 よく観察もできないまま引き下がるしかなく、はるか遠い祖先の、食料を得るための戦いの困難さを思った。

 少年時代は、宅地化が進みながらも、まだまだ自然が豊かな町で育った。日々の遊びの中で、サル的な目線で味わった甘いものもいくつかある。
 象徴的なのは、森の中に採りにいったアケビだろう。
 完熟して口が開いているものは見たことがなく、たいていはまだ固いものを何個か収穫して帰るのだった。米びつに入れておくと追熟する、といわれており、そうした。
 今でも当時のプラスチックの米びつの様子を思い出せるのは、コメとぎを手伝ったからではなく、アケビを突っこんで数日間、わくわくしながら毎日ながめていたからだと思う。もういいだろうととりだして味わった、たよりなくはかない甘さの記憶も鮮明だ。
 あと、みなさんやられた方も多いと思うが、サルビアの花を抜いて、蜜をチュッと吸った。実にサルっぽい。
 こういうのはサル知恵として年上から年下へ、群れから群れへと伝わっていくわけだ。
 これはいけないことだが、麦畑の麦のまだ緑色の穂をひっこぬいて、その茎をしがんだ。どこの甘味に飢えた子ザルが発見したのかと思うが、青臭いけどスイカのような風味の、薄甘い味がした。
 畑の持ち主にすればサル被害というわけで、さぞお腹立ちだったと思う。どうもすみませんでした。

 大人になってずいぶんたつ今、洋菓子にしろ和菓子にしろアイスにしろ、私は口にするとほぼ9割方
「あめぇ」
と、顔をしかめる。
 甘さひかえめのものなら比較的好むところをみると、甘さを「うまい」と感じるラインがどんどん下がり、アケビや麦の茎に近づいているということかもしれず、虫歯の心配があまりなくていいことだ。

第二十五回 「サルです。ああ甘い」