吉田戦車「日本語を使う日々」

第二十七回 「[観る]も[視る]も[見る]でいい」

第二十七回 「[観る]も[視る]も[見る]でいい」

 マンガのセリフを書いたり、文章を書いたりするときに、いまだに迷うのが「みる」ということばだ。
 ネコを見る、電信柱を見る等々の「見る」に迷うことはないのだが、問題は「観る」である。映画を、歌舞伎を観る。気分としてはこれらも「見る」にしたいなあ、といつも思っている。
 字として重いのである。
 ワープロソフトはむずかしい漢字も簡単に変換できるわけだが、ほら、今も「難しい」と変換したので、すぐひらがなに直した。
 なぜかといえば、なんとなく文面を軽くしたいからであり、漢字は極力へらしたい。どの字をひらがな、カタカナにするかの線引きは常にあいまいで、悩みのタネなのだが。
 そういう気持ちがあるところに「観る」は、いささか重い。「映画をみてきた」と、ひらがなにしたいとさえ思う。それもまたすわり心地がいいわけじゃないのでしないのだが。
 一度マンガのセリフに「映画を見る」と書いたら「観る」に直された記憶があり、表記としてルールになってしまっているのかもしれない。
 使ったことはないがもっとすごいあて字に「鑑る」などというのもあり、なにをごたいそうな、と思う。「鑑みる(かんがみる)」じゃなくて、これも「みる」なわけですね。国宝や名画は漫然と見てちゃいかん、鑑なさい、というわけか。
 テレビは「視る」と書いたりもするが、これも使わない。言いたいことはわかるが、いいじゃん「見る」で、と思ってしまう。

 好きな若者語に「ガン見」というものがある。意味は「凝視すること、じろじろ、じーーっと見ること」であろうか。
 なんともいえず粗暴で力強いひびきがあり、耳に心地よ今回の一枚(クリックすると大きく表示します)い。自分で使ったことはないし使う気もないが、人ごみで耳に「きもいおやじにガン見されて」などということばがふわっと入ってくると幸せな気持ちになる。変態でしょうか。
 意味は多少ちがってくるようだが「ガン見せ」ということばすらあり、気が遠くなりそうだ。ファッションにおける肌の露出のことらしく、こちらはあまり好ましくない。わが子がガン見せなどしませんように、と祈るしかない。
 ガンシリーズでは「ガン無視」ということばもある。
 初めて聞いたときは仰天した。「徹底的な無視」ということのようだ。荒っぽくザラリとしていて、絶妙に感じが出ている。
 このことばが使われる場所での人間関係のしんどさ、みたいなものを考えると胸は痛むのだが、力強い俗語である。
 他に「ガン泣き」という表現も耳にするが、もう笑うしかない。
 泣け、思いっきり。

 話がそれたので、なにかを見物にいくことにした。
「見物」というのは好きな日本語で、芝居見物、映画見物という言い方もいい。「見る」でいいじゃないか、という気持ちはここから来ているようだ。
 夏にはお台場に等身大・18メートルの「ガンダム」を見物にいったが、とてもよかった。でかいもの、珍奇なものというのは見物の基本である。
 今の時期にその手のイベントはやっていないようなので、近場に紅葉見物にいくことにした。
「物見遊山」という、これまたいい日本語があるが、そんな気楽な気分だ。
 東京都調布市の神代植物公園。有料だが、気分のよいスポットである。
 菊がちょうど見頃。秋のバラのシーズンでもあった。まだかなり早いが、色づきはじめている木もかろうじてある。
 さっそく喫茶コーナーのメニューやサンプルを見に近づいていく。
 妻の伊藤によれば、帰省時に両親や娘と出かけたとき、みやげ店や産直があるとすかさずダッシュする私に、いつも
「好きねえ」「好きだよなー」
「早えー早えー」
という会話になるそうだ。
 それほどの自覚はなかったが、この日もレストランメニューの「ばらの季節のおすすめ、ばら御前」が目にとまり、大喜び。バラ肉丼とかではなくて、ちらし寿司=ばら寿司のセットだった。
 売店には「この時期しか召しあがれません。バラまんじゅう一個160円」があり、さっそくそのピンク色の物体を買ってみたり。

 その流れで思い出したが、東南アジアで何度も耳にした日本語がある。みやげ店の人たちが、すばやく日本人と識別して投げかけてくるのだ。
「見ルダケ」「見ルダケヨー」「見ルダケタダネー」
 近よってきてあれこれ売りつけられるのがいやで、足早にバザールなどを通り過ぎるときに、こう声をかけられる。
 本当に見るだけだぞ、と苦笑しながらつかまってしまえば、ぼられる、というのもなんだが、たぶん適正価格の数倍の値段で(同じか)なにかを買ってしまうことが多かった。
 こっちは商品を見るだけで楽しいのだが、売るほうにとってそうはいかないのはあたりまえだ。異国の商品をじっくり見たい場合は、スーパーがあればそこが一番よい。

 そんなことを考えながら、バラ園に入る。
 見るだけタダ、ではない。入園料を払っているのだから、もっとじっくり「鑑る」べきなのかもしれないが、バラを鑑賞する感性が私には欠けているようだった。
 バラはすてきすぎる。面はゆい
 バラのトゲをむしってつばで鼻にくっつけ
「怪獣~~~」
 などと遊んでいた自分が、バラなど愛でてはいけないような気がするのだった。
 とはいえ、バラ園のまん中でアニメ『ベルサイユのばら』のイントロをつい口ずさんでしまうくらいには、その場所を楽しんだ。
 私同様、かなり多くの人にとって、バラのイメージといえば『ベルばら』なのではないだろうか。
 外国。ヨーロッパ。西洋。バラのイメージはそういうものだ。
 イバラとして自生し、茨城、茨木という地名までありながら、強烈にバラのキャラが立ったのは、明治以降に入ってきた西洋種から、ということになるのだろう。
 バラを見ながら、伊藤と半分ずつバラまんじゅうを食べた。
 ピンク色の生地にあんこ。王妃マリー・アントワネットにはちょっと似合うかもしれないが、オスカルにはぜんぜん似合わない。
 オスカル様にはその激しさ美しさにふさわしい深紅のまんじゅう。それしかないだろう。

第二十七回 「[観る]も[視る]も[見る]でいい」