吉田戦車「日本語を使う日々」

第三十一回 「朝まずめ今頃誰の手に魚」

第三十一回 「朝まずめ今頃誰の手に魚」

 インタビューで割とされがちな質問がある。
「子供の頃、マンガは誰のファンでしたか?」
 手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、松本零士(文中すべて敬称略)等々、諸先生のお名前をあげるのだったが、単行本を買い求め愛読していたのに、なぜかこの方の名前が出ることはなかった。
 矢口高雄。
 そう、『釣りキチ三平』の矢口高雄である。あのマンガは、一時期の私の文字どおりバイブルであった。あれを読んで釣りを始めたのか、釣りが好きだったから読み始めたのか、今となっては判然としないのだが。
 ある意味実用書として読んでいたのだった。今思えばほとんどが小学4、5年生の[雑魚釣り]には必要のない知識だったのだが、精神的実用書というか、自分は三平だ、釣り名人だ、と思いこむ効用があった。スポーツマンガと同じ位置にあったというべきか。
 そういう読み方をしていたからか、それとも代表作『釣りキチ三平』が、他作品を圧倒してあまりに巨大すぎたためか、好きな漫画家は?と問われて矢口高雄の名前が出ることはなかったのだった。少年鷹匠を主人公にした『はばたけ!太郎丸』なども思い出深いのだが。
 ともあれ一人二人にはとても絞りきれないほど、漫画界に私のヒーローは数多くいた、ということである。

 『釣りキチ三平』のエピソードに、タナゴ釣りの話がある。今では絶滅危惧種に指定されている小さい淡水魚である。
 繊細な、特殊といっていい仕掛けの説明が書いてあったが、そのへんははしょって、冬の川になんの根拠もなく出かけていったことがあった。
「あのへんにタナゴがいるかもしれない」今回の一枚(クリックすると大きく表示します)
 釣果は当然[ボウズ]だったが、川に向かう雪原を歩くあの冬の一日は忘れがたい。あれはいったい故郷のどのあたりの川だったのか。
 数々の釣り用語も『釣りキチ三平』で覚えた。[ボウズ(坊主)]もその一つで、一匹も魚が釣れなかったことをいう。わかりやすい。
 実は今回のテーマを思いついたのは、朝5時に赤ん坊に蹴りを入れられて目が覚めてしまい、うつらうつらしている時だった。
「今頃の時間を[朝まずめ]というんじゃなかったか……」
 そしてそれは釣り用語だ、おお『三平』で覚えた言葉だ、と気づいた。
[夕まずめ]と共に、日の出、日の入り前後1~2時間の、魚の食餌行動が活発になるといわれている時間のことなのだった。もとは漁師用語らしく、語源は定かではないが[間詰め(まづめ)]という表記も見つけた。獲物との間を詰める、とでもいうようなニュアンスだろうか。

 脳内の少年時代の引き出しの中から、今では使うことのない言葉がこぼれ落ちてくる。
[サシ]ってなんだっけ? えーとそれは餌としてのウジのことではなかったか。そうだ、幸いにもそのへんの畑の堆肥をほっくり返せばミミズ(こちらは[キジ]といった)がたくさんいたので、フナやハヤ釣り程度なら、サシなど買う必要はまったくなかったのだった。とぼしいこづかいをウジムシなんかに使わずにすんで本当によかった。
 ヨリモドシ、カミツブシなど、その用途や形状から名づけられた道具類もなつかしい。テグスをかみつぶす……というかはさんで留める、あの割れ目が入った小さいおもり。あの粘りけのある金属の手ざわりはどこか官能的でもあった。
[スイコミ]というのは、そうだ、コイ釣りの仕掛けだ。円錐形のバネのような金具の回りに針を数本配置して、練ったマッシュポテトでくるみこむのだった。コイの回遊路にそれを投げ込んでおくと、餌が徐々に溶け出し、コイがそれを吸いこみ、ついでに針も吸いこむという寸法だ。
 普通のウキ釣りにくらべると大がかりなその仕掛けには『三平』っぽさを感じて昂揚したものだったが、それでコイが釣れたことはなかった。

 唯一釣ったコイは、30センチ前後ある、子供の身からすると大物だったが、その時の餌は[ドバミミズ]だった。ウジだとかミミズだとかすみませんが、これらも立派な日本語ということで。
 ドバミミズとは、いわゆる普通のミミズである。舗装路でたまにひからびて死んでたりする、あのけっこう大きいやつ。フトミミズともいうらしいが、[ドバ]という響きに、大物が釣れそうな言霊がある。フナ釣りで普通に使っていたシマミミズとは迫力が違い、針につけるのに大いに苦労した。単純にいえばえらく暴れた。今やれといわれても「いやです」ときっぱり拒否するだろう。
 淡水魚釣りの餌としてけっこうな高値がついており、今ではネット販売もされているようだ。クリックして買って、ユーザーレビューを書いたり☆3.5とかつけたりするのか。1万匹買うと送料無料になったりするのだろうか。
 釣ったコイは、生かしたまま家に持ち帰った。キャッチアンドリリースなどという言葉はまだなかったし、知っていたとしても生まれて初めて釣った尺物を放すつもりなどぜんぜんなかった。
 困ったのは親であり、仕方なくそのために大型の水槽を買ってくれたのだった。コイにとってみればせまいその中で、それでもけっこう長生きしたのではなかったか。なかったか、というのはガキの常で、しばらくたてば過去の獲物になど関心がなくなってしまったからだ。
 釣り少年だったのは中学1年生……せいぜい2年生ぐらいまでだったろうか。少年時代の特権としての[ヒマ]がどんどんなくなっていったことと歩調を合わせるように、釣りは自分から離れていった。
 今の少年たちもヒマだろうか。そのヒマに何を詰め込んでいるのだろうか。
 願わくばナマモノに手で触れて、動いて気持ち悪かったり、臭かったり怖かったり、思い通りにいかなかったり不潔だったり、そういう経験をできるだけ多く詰め込んでほしいと、おじさん思わずにはいられないのだった。

第三十一回 「朝まずめ今頃誰の手に魚」