吉田戦車「日本語を使う日々」

第三十二回 「三十文ぐらいの得の朝」

第三十二回 「三十文ぐらいの得の朝」

 早起きは続いている。
 よほど深酒したような日をのぞき、朝ごはんも8時前後にちゃんと食べる。
 その深酒も、以前とくらべればめっきりへった。そう、昨年末から始めた「一日おき休酒」が、不規則ながら続いているおかげである。
 昨年11月に327だったγ-GTP(肝機能の数値。正常値は0~50)は、8カ月後の今、100ちょっとまで下がった。
 禁酒すればもっと早くしっかりと下がっているだろうから、下がり方は遅々としている。一日おき休酒はかろうじて続けているものの、飲酒の日のアルコールはしっかりとまじめに摂取し続けていた、ということだろう。このまじめさ、勤勉さが他のところで出ればいいのにと思う。
 そういえば引っ越してから、まだ明るいうちに店を開けている飲み屋がやたら目につくようになり、しかもまだ陽が高いのに一杯やってる人たちがいて、ついそこに「後学のために」入るようになってしまった、ということもあった。たしかに勉強にはなるのだが、その昼酒がさめてから夜酒も飲むわけであり(だって次の日は休酒日だから!)摂取アルコールの量は増えていた。

 女房に叱られ、昼に飲み屋に入って生ビール1、チューハイ2、焼き鳥5本、追加でポテトサラダね、みたいな「昼食」をとることはやめた。ちょっと意識して酒量をコントロールして、次の健診では二ケタをたたき出したい。
 飲まない晩にも慣れた。飲めと言われれば飲んでやってもいいが、飲まなくても平気である。
「明日の晩なんて、割とすぐ来る」
 というのが、休酒日に考えた格言である。ああ今日は暑かったな飲みてえなあ、でも休酒日だー、という晩などにけっこうよく効く。
 しかし、飲みたいというアルコールの魔力に拮抗しうる魅力が、休酒日にはなくもないのだった。
 それは夕食後数時間たち、腹がある程度こなれてから寝る、ということ。ごくあたり前のこのことが、なかなか気持ちいい。多くの人が普通にやっていることが、ようやくできるようになったのだった。
 酷使し続けてきた内臓が休んでいる、という実感がある。ほとんど毎日、寝る寸前までカロリーのあるものを摂取し続けて20数年。ここで多少なりとも休ませる習慣ができて、本当によかったと思う。
 そして眠りについた翌朝は、爽快、とまではいかないが、ふつうであり、ああオレの体調ふつうだなあ、という喜びを感じることができる。それを気持ちよく思うようになったため、深酒も比較的へってきているように思う。
 ようやく冒頭とつながった。

 起きて気が向くと散歩に出る。運動不足を少しでも解消したいからである。職住をいっしょにしてから、おもしろいほど運動量はへり、体重はじりじりと増えている。たかが通勤の数十分が、大事な「歯止め」になっていたのだった。とてもやばい。
 だが、減量のためにガツガツするようなことはない。耳に「音楽ひも」を突っこんで走るなどというようなことはしない。そういう人をけっこう見かけるのだが、あれは運動の邪魔にはならないのだろうか。
 いや、まてよ……そうか、そうにちがいない。
 みなさんあれで「ロッキーのテーマ」を聴いているのだ。あのテーマ曲ほどトレーニングの励みになる音楽はない。みんなロッキー気分で朝のジョギングをしているのか。そうだったのか。
 と、思って以来、耳に音楽ひもを入れているジョガーを見ると
「またロッキーですか(笑)?」
 などと思うことにしている。
 犬の散歩をしている人も多い。犬もどことなくうれしそうに見える。どこにおしっこしようかな、ということだけを考えているような、いそいそとした動きがかわいい。あ、おしっこした。
 おどろいたのは、犬のおしっこのあとに、主人(男)がおしっこをかけたことだった! ええっ、なぜ?
 ……ちがった。そのように見えたが、手に持っていたペットボトルの水を犬のおしっこの上にかけたのだった。あとを軽く洗い流すという、マーキング場所に対してのせめてものエチケットということか。いいことだ。ダブルおしっこじゃなくて本当によかった。

 資源ごみ回収の朝に、あきらかに区の回収車じゃないトラックが、古新聞や古雑誌を集めているのも見る。生活のための仕事であり、お目こぼししてやってもいいような気もするのだが、区に税金を払い、ごみ回収をしてもらっている身としては、やはり釈然としない思いもある。
 運が悪いことに、区のパトロールに現場を押さえられている人も見た。あやまっていた。写真を撮られ、免許証など提示させられているようだった。
 そういう朝の負の部分も見ながら、川に向かう。
 川も一時期にくらべるとずいぶんきれいになった。ドブ臭くもなく、生き物の姿も多い。夏はアメンボの季節なのか、川面に無数のアメンボが輪を描いている。魚や、あるいは鳥はアメンボを食べないのだろうか。捕食者を上回るほど、アメンボの発生量は多いということだろうか。
 いや、私はこう思う。アメンボはまずいのだ。魚や鳥たちにとっても
「よっぽど飢えないかぎり、アメンボは食うな」
 ということになっているのではないか、と思うのである。
 シラサギがちゅるりとドジョウを捕まえ、のみこんだ。そのあと水を2度飲んだ。そんなうまい餌がいるんだもの、アメンボなんかには見向きもしなくて当然だ。
 そういえば朝ではなく日中の話だが、暑さを避けるためか、橋の下にシラサギが4羽ほどたむろしているのを見たことがある。上は片側3車線の幹線道路で、クルマの流れが引きも切らない。ドライバーは今シラサギの今回の一枚(クリックすると大きく表示します)上を通った、なんて想像もできないだろうなあ、と思った。
 そして、この川で思いもかけなかった鳥を見た。調布の野川でなら見たことがあるが、23区内のここにも……。心がふるえた。
 カワセミ。
 つがいだろうか、2羽いた。
 早起きは三文の得というが、一文はいくらだろう。幕末の頃、屋台の二八そば屋で「もりかけ十六文」だったという記述を読んだことがあり、ごく普通のそば屋のそれの値段が500円とするなら、一文は30円そこそこ。三文は100円足らずということか。
 かけそば2杯分ぐらいの得はした、と思う。

第三十二回 「三十文ぐらいの得の朝」